2011年4月28日木曜日

もう、いいかな?大手メディアへの圧力暴露

もう、かれこれ、20年近く前の話だから、書いちゃえ!今、東電と大手メディアの癒着や情報操作が言われているけど、こんな大げさな話ではないけど、小さなトラブルがあった。
現在映画は3Dだとか5.1chシステムだとかは当たり前になったが、実は、日本の映画館に導入されたのは、かなり遅かった。特に5,1chシステム導入は、既成の映画館と外資の映画館の日本進出との間で異常なまでに時間を費やしたのである。

その音響システムは、ハリウッド映画を変えてしまうものだった。5,1chシステム、それは、スピーカーのシステムである。前方右と左とセンター、後ろに右と左これで5つのスピーカー、それとスーパーウーハーが加わって5,1ch。このスピーカーのおかげで音の中間移動を感じられる事が出来、より現実の音に近づくものである。右から左の移動に前から後ろの移動もある。
このシステムを最初に導入したのは、イマジカだった。イマジカの試写室は日本に一館も5.1chシステムがない時からいち早く導入した。そのシステムを使った映画の迫力はぜんぜん違っていた。
スピルバーグの「オールウェイズ」や「インディージョーンズ3」など、オープニングで大迫力の音の嵐。その迫力でつかみはOK!ストーリーの中にあっという間に引き込まれてしまう。
5,1chでないとこの映画の魅力は半減されてしまうのだ。
当時アメリカはもちろんのことヨーロッパ・アジアなど全世界にその5,1chシステムがあるのに日本には一館もない。
それは、日本の映画館に問題があった。
そもそも、この5,1chシステムはジョージ・ルーカスのルーカスフィルムにあったスカイウォーカーサウンドが開発したものだった。このスピーカーシステム日本の劇場にただセッティングすれば、できることはできるのだが、ルーカスフィルムは「THXサウンドシステム」と名付けこのシステムを入れる為に諸々の条件があったのだ。その中でも一番大事なのが、映画館内の静けさが必要だった。
映画館が静かでないとシステムを入れることはできなかったのだ。

もちろんルーカスフィルムも営業の為に日本にやってきた。そして、日本の劇場の静けさの測定が始まった。当時完成間近の渋谷の映画館や大きな劇場から小さな劇場まで測定しまくった。
その結果、渋谷の小さな劇場2館だけ・・・OK。それ以外は静けさがなく、外の音は聞こえるし、反響音もすごくで、まず壁を変えるところからの工事が必要だった。何故か、完成間近の渋谷の映画館に関しては、設計の一部変更で日本一の音響システムの映画館の完成だったはずが、ゼネコンの問題だったり、渋谷がNo1は困るなどの理由で導入しなかった。日本の各映画館は当時変なこだわりがあったのだ。

それに疑問を持ち、我々の映画館を変えようチームは、なんとかその話をみんなに知ってもらいたく新聞記事にできないものかと、各新聞社に相談をした。そこに食いついてきたのは当時日曜日に4面の特集紙面があった新聞社に打診した。担当記者に詳細を話し、イマジカで5,1chを体験してもらった。すると記者が盛り上がり、日本の映画館の遅れを暴露!と、いうことになり、せっかくだからとサンフランシスコのルーカスフィルムに一緒に行って記事にしてもらうことになった。
ルーカスフィルムの中は、広大で綺麗に整理され一大アミューズメントパークのようだった。実はおみやげ物屋さんまであった。
そこで、音響担当の人、映像担当の人、モノラルとステレオ、そして、5,1chといろいろと披露してもらった。さらに、サンフランシスコの街の映画館にも行った。サンフランシスコで一番古く、大きな映画館に行きそこの映写技師の取材もした。
その映写技師は、日本の技師もそうだけど、ちょっと怖そうでジーパンにカーボーイハットを被った頑固職人風だった。てっきり、「映画は昔はよかった・・THXだ?こんなものはいらん!!」と、言うとばかり思った。しかし、違った。そのおじさんは映写機のそばにあるBOXを指差し「これが、魔法さ!カップルに幸せを提供するBOXさ」とそれはTHXをコントロールするBOXだった。「覚えるのも簡単だよ!」と自慢して見せた。
その映画館は、ある日、自分の映画を見に来たジョージ・ルーカスが、自分が作った映画と違う事に気付いた。せっかく入れた音が聞こえなかったのだ。映画館の騒音でかき消されてしまったのだ。そこで、静けさの重要性とさらに音の動きをつけようと「THX」システムを思いついた劇場だったのだ。
その後、音響担当者たちとパーティーをした。その中で担当者は「この間、日本の渋谷に完成した映画館に行ったよ。この映画館は本当にお得だったよ。いっぺんに2本の映画が楽しめるんだよ。見てる映画と下の階でやってる映画の音が漏れてきてわかるんだよ」と皮肉たっぷりに大笑いをしていた。新聞記者も我々も、なんとか記事で映画ファンに現実を知ってもらい映画館革命を起こそう!と気合が入った。

そして、帰国、その記者は、「何故、日本に導入できないのか?」など日本の大手映画会社の取材も各社行った。導入できない理由ははっきりしなかった。改装にべらぼーに大金がかかるとかデジタルにする方が先だとかわけのわからないことも言っていたようだ。
日本の映画界、特に映画館の現状をガツンと気合を入れて記者は書く予定だった。記者の話では、あのサンフランシスコの映画館の映写技師の話や音響担当の話などを中心に書くんだとかなり、張り切っていた。僕は、どういうことになるのか紙面を楽しみにしていた。

ある日曜日記事が出た。
「映画館革命!」のはずだった・・・・しかし、「ルーカスフィルム探訪」になっていた。あれ?劇場問題は?しかも、写真のでかい事。これでは、文章量が少なくなってしまう。よくみると映画会社の社長のコメントもあり会社の日本の映画館の宣伝風にもみえてしまう。どうしてしまったんだ?日本の映画館の問題は?

記者から電話があった「本当にすいません。私も粘ったんですけど・・・広告局からクレームがきて大幅に変更させられてしまった・・・」と、怒りを隠せず、さらにやや悲しそうな声だった。確かに各大手映画会社の新聞への広告費は半端じゃない。とはいえ・・こんなに。
その記者は、その後、別のセクションに移動になってしまった。
日本の映画館を変えようと努力していた担当者は映画会社に怒鳴りこんだようだが・・・

その後しばらくして、外資系の映画館が進出。しかし、大都会には出せず海老名に1号劇場ができた。もちろんその映画館の音響は日本一の「THX」サウンドシステムでスクリーンも日本一だった。
しかし、どこの媒体も取り上げなかった・・・。それなのに、一部の音響雑誌などが取り上げたため、動員数が日本一になったりもした。そこから、だんだんと外資系の映画館が増え、多くの観客は綺麗で見やすく音の良い映画館へと足を運んだ。都心に外資系を入れることを拒んだ日本の映画会社せいで外資系は郊外につくった。さらにそれが、家族連れなどに人気を博し成功していき、逆に都心の映画館は閑古鳥となっていった。
都心の古い映画館は、今、外資系の映画館と同じように改装や新装させ、外資と同じシステムになり復興を遂げている。ただ、そうなって、まだ、10年もたっていないかも・・・・・。

今思えば、あの圧力がなければ、もっと早く映画館は変わり、映画の進歩も変わっていただろう。
少なくとも、あの当時、日本は世界の中でも最下位に近いくらい映画館はひどかったのだ。
それから、この間まで映画館後進国の状態が続いていたのである。

メディアに圧力をかければかけるほど進歩が遅くなって、結果的には圧力をかけたところが衰退をするのである。復活までにはけっこう知った人たちがリストラでいなくなる事態が続いてしまった。

今回の原発人災、この時に粘ってくれた記者がいる築地の新聞社には頑張ってもらいたいものです。

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