時代は流れてる。それは、良いこともあり、悪いこともある。
僕は、昭和33年生まれだ。物心が付いたときは、ほとんど生活のベースになるものは揃っていた。
その後、遅かったものが早くなったり、低いものが高くなったり、白黒がカラーになったり、回すダイヤルが押すものになったり、その程度の発展を見てきた。
しかし、ここ10年は、パソコンや携帯電話、電子レンジなど想像もつかない発明が商品化され、だれでも、手に入れることができ普及した。
昔は、簡単にネジを回し裏を開いてゴミを取ったり、接触不良を直したりでもとに戻ったものだったが、現在のものは、全くわからない。もちろん、専門知識を持った人はわかるのだろうけど。
そもそも、パソコンの容量やら、カメラの画素数など聞いたこともない単位で語られたり、訳が分からない時代となった。
それと共に社会も変わってきた。特に、バブル時期を挟んで大きく変貌した。人々の心も変わってきたのである。
バブル前から、国が日本人は「中流の上」という意識を植え付け、それが、バブルで、「上流の下」という意識を目標にしてきた。
当然、裏社会もそれに伴い変わってきた。
ヤクザなど、危ない繁華街にでもいかない限り、目にすることはなかったが、確かに繁華街には怖そうな人はいた。ところで、その「ヤクザ」を知ったのは「仁義なき戦い」シリーズをはじめとする東映任侠映画である。
ヤクザには派閥があり、いろいろな組みがあり、ある時は、悪に手を染め、ある時は社会悪を撲滅する。さらに地元の為に一肌脱いでいわゆる汚い仕事をしてくれる。
そんなものだろうと思っていた。
そして、仕事の中でそのヤクザに直面することになった。
とある海の家でライブイベントを行うことになり、その流れを説明をする為に意味の家を取り仕切っている人に会うことになった。
その人は、60歳を超えた感じの初老の一見人の良いおじさんだったが、目が鋭かった。
イベント打ち合わせで会うようなタイプの人ではなかったが、仕切っている方なので真面目に話をした。「この人はヤクザだから」と噂には聞いていたが、一見するとそうとは思わなかった。
しかし、さりげなく出した手の小指がなかった。映画の世界と一緒だった。
きっと、何か問題があり、いわゆる「指を詰めた」んだろう。
それを見て、本気で真面目に対応をし説明をした。
その人が言うのは、ライブをすることでの音の問題に関して気にしていた。警察がうるさいんで極力音量は下げて欲しいとのことだったが、盛り上がらないのも困る。せっかくアーティストが来てくれるんだから・・・。その妥協の範囲でやってくれれば、あとは任せてくれという。
本番を迎えた。音響チェックの結果、妥協の範囲よりも下げてスタートした。
ところが、盛り上がった頃、「うるさい!」とすごい勢いで男性が怒鳴り込んできた。
今止めないと・・・と殴りかからんばかりの勢いだった。さらに、警察に通報するとも言い出した。
そこに、おじさん登場。
「私に任せてください」と、その男性を連れて裏の方に行ってしまった。
こんなじいさんには負けないと男性の怒鳴り声が時折、漏れてきた。
大丈夫か?と、心配になったが、ほかの海の家のスタッフが「大丈夫ですよ」と軽く言ってくれた。
その人が言うには、本番前に、音が漏れ聞こえる範囲の家、一軒一軒回り菓子折り持って前もって了解を得ていたのである。さらに、警察にも話をつけていた。
それがあるので、対応は見事だった。いつのまにかあの男性はいなくなっていた。
おかげで大事にならずに、無事イベントは終了した。
その翌年は、そのおじさんから電話があり、「イベントしましょうよ。」と、企画の連絡が何度かあった。予算がなく、なかなかできずに残念だった。
しかし、お世話になったお礼も兼ねて、こっそり、友達をいっぱい連れて海の家に行った。
忘れているだろうと思っていたが、奥からおじさんがニコニコしながらでてきた。
「どうぞ!どうぞ!」と、無料でいろいろと使わせてもらった。
「逆ですよ!お役に立てないもので・・せめて、海の家に・・・」
「いいの!いいの!来てくれるだけで嬉しいからさ。最近は不況で予算が取れなくて大変だよね」
まるで、代理店の人のようだった。
当時は、街でのイベントの際は、その街を仕切っているやくざの親分に一升瓶持って挨拶に行ったものだった。イベンターにはその担当者までいたことがある。
そのおかげで、スムーズにイベントは行われた。と、思ってる。
やくざから暴力団になり世の中で問題になり始めた頃
それでも、16年前の阪神淡路大地震の際は、山口組会長宅に被災者を受け入れ炊き出しをしたり、街の為に一肌脱いでくれた。
30年以上前には、家も祖父の会社が倒産した際、銀行が送り込んでくるヤクザに対抗して、住吉会系のトップの方に守ってもらったこともあった。同じ敷地内で暮らしていた我々にはとってもいいおじさんたちだった。
通常時にヤクザの方々と触れ合うことはない。金銭トラブルや危ないお店やら危ないことしなければ全く無関係である。ただ、同じ街に何世代も住み続ければ、その街に住む組みの親分やいつの間にか同級生がその世界に入り否が応でも親しくなることもある。でも、それは普通のご近所さんである。
20年以上前、企業の悪事や日本を裏切る行為などをしたりすると街宣車などで抗議活動をする右翼が現れた。その人たちをけしかける人まで現れた。その人たちを抑えてもらうのはヤクザの親分に頼むしかないという風潮があった。警察も何もしてくれない。確かに大声で名指しで抗議する姿を遠まきでただ見ている警察。紳助だけではなく各企業なども親分にお願いしただろう。そして、お金で解決。後腐れなく終わり。
しかし、いつから変わっていったのだろうか?
暴力団壊滅と称して取り締まりを強化し、暴力団は会社組織へと変わり、そこに顧問弁護士が合法的に加わり、法の抜け道を見つけ裏の金を稼ぐ。そうなっていったのではないか。
さらに、バブルな時代になり、銀行が先導し金を貸しまくった。そこで、貸金業に入っていく暴力団会社。銀行とタッグを組んだりして、社会に広がった。銀行にとっては取り立てなどは専門家に任せることができ重宝しただろうが、取り立てに規制が入ると捨ててしまったり、別のタッグを組んだり。
そのたびに、法の抜け道を探して合法的に生き残る。社会にITなどの文化が広がるとますます抜け道は広がっていった。
しかし、簡単に金儲けができないが、組織力のある日本の暴力団にアジアのマフィアや韓国マフィア、さらには本場のマフィアまでが近づき、麻薬取引の組織として力を付けた。
アメリカも日本の暴力団は要注意としてマークされた。
「堅気には手をだすな!」と言う時代から、堅気の方がやくざより怖いとなっていき、行き場を失って、「堅気もヤクザも関係ない」という時代になってしまった。
決して肯定するものではないが、せめて「堅気には手を出すな」の時代。「愛されるヤクザ」の時代に戻すことを前提に1992年に施行された机上で決められたような暴力団対策法を改正しては、いかがでしょうか?
手榴弾とか機関銃とか、規模は物凄いことになったけど、福岡は「平成の仁義なき戦い」真っ最中だけど・・・根本的な問題は、単なる組み同士の抗争なんだろうか?その原因を解決しないとなくならないと思うけど・・・。
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