震災後、NHKで何度かやっていて、番組にも出演していた群馬大学の教授がいた。
この教授は、津波が心配で、何度も三陸方面に通って避難訓練や講演を重ねていた。
市の人や街の人、学校の先生にいたるまで教授を頼り切っていた。
教授は、地形などを見て津波が来たときの為の緊急避難場所を決めていた。
そして、町じゅうで教授の言うとおりに避難訓練をしていた。しかも、今回の津波の直前に。
しかし、
今回の津波は想定外だった。
安全と想定していた緊急避難場所も津波にのまれてしまった。
もしかすると、その避難場所にいた人も犠牲になったかもしれない。
「いい加減な想定しやがって・・・責任は重大だ!!」とTVを見ながら思っていた。
番組は違った。教授も違った。
教授は、もしかすると大非難を受けるかもしれないその被害現場にいち早く駆けつけていた
その模様を番組は伝えていた。
ある町に中学校とその隣の小学校がある。
訓練で教授はその生徒たちに
「避難の際は、中学生が小学生を連れて急いで避難場所に行くように」と教えていた。
その町に教授が着くとそこには何もかもなくなっていた。破壊された町。変わり果てた学校。人も見当たらない。
無言のまま教授は避難所に指定したやや高台のビルに行ってみた。
そこも津波にのまれていて無残な姿になっていた。その様を見て
「子供たちは逃げてくれたのだろうか・・・・」と、心配と悔しさの入り混じる表情になっていた。
そこに町の人から、情報が入る。子供たちは無事だと。
津波が迫ってきたから、さらに高台へと走って逃げたそうだ。
町の人が写真を持っていた。
その写真には、小学生の手をつなぎ逃げていく中学生たちの姿が写っていた。
「あなたの指示した避難場所はだめじゃないですか!」責めるのかと思っていた。
しかし、町の人は教授を責めるどころか、
「先生のおかげです。ありがとう」と言った。
そして、教授は、さらに子供たちが避難したという高台にいくと、そこで、子供たちや先生が、明るく教授を迎えてくれた。教授は「良くやってくれた!・・・」と子供たちを抱きしめた。
先生たちも明るく教授に
「避難所に迫ってくる津波に気づいてみんなで走って逃げたんですよ。先生のおかげです。」と、
誰一人教授を責める人はいない。教授はただただ「よかった・・・よかった」を繰り返すのみだった。
そのあと、番組は教授に迫った。
「このような大津波が来ることは想定できなかったんですか?あの避難所で大丈夫と思ってたんでしょうか?」と聞いた。教授の責任は・・・どうなんだ。どう説明するんだ・・。答えにものすごく興味があった。
「想定していました。多分最悪15m以上の津波が来る可能性があると思っていました・・・・・・・・・。しかし、その想定では、避難訓練どころではなく、町すべての移転しか考えられなかったんです。そんな事は言えないです。それで現実的な事しかできませんでした。」
何十年・何百年もそこには町の人の生活があった。その生活を他人がとやかくいう権利があるだろう。その事は、町の人も理解していたのかもしれない。
「教授の訓練のおかげで、子供たちは全員無事だった!ありがとう」と教授を迎えていたんだろう。
こんなことになり、非難されるかもしれない町に津波直後に向かった教授。
その勇気に感服した。
そして、今日政府が有識者を選び復興街づくり委員会(正式名称は忘れました)を立ち上げた。
何十年・何百年もそこに暮らしていた人たちの意見を最優先して復興させてもらいたいものです。
ところで
想定していたのに想定外といって逃げている教授の方々。現地へ出向いたんだろうか?
ガイガーカウンター持って・・・
0 件のコメント:
コメントを投稿