2011年6月15日水曜日

原爆ドームに謝罪・・・

姪っ子が間もなく修学旅行に行く。広島に行くのだ。
広島と京都に行くという。なかなか最近は粋なことをする。
しかし、最初は聞いた時は違った。なんという無駄な事を!!!
京都・奈良という定番ではなく京都・広島とは。定番でいいのでは?と思った。

でも、今は違っている。今だから違うのである。
修学旅行などで連れて行ってもらわないと首都圏から広島にはなかなか行けない。
僕も、昔、広島で映画のキャンペーンがあって、ちょっとした隙に行ってみた。
もちろんゆっくりはしていられなかった。
思いのほか小さいなと思ったけど、なんだか重厚感があり、不思議な空気を感じ、戦争の悲惨さと核爆弾の恐ろしさなど、不思議と空気が反核へと導いてくれるのである。

そこに修学旅行でいくという。

きっと、ゆっくり見て回ると原爆の恐ろしさ、核の恐ろしさ、被爆者の苦しみをまざまざと知ることになるだろう。そして、戦争はいけない!核兵器など世界から撲滅させるべきだと普通に思うだろう。

でも、今は違う、3.11前の日本とは別の国になってしまったのである。
核兵器を持たない国だったはずなのに、他の国から核攻撃を受けたわけでもないのに被爆してしまったのである。
首都圏も福島も・・・・多かれ少なかれ、3.11前の放射能とは違い、通常時の何倍もの放射能を浴びてしまったのである。
そう、被爆者になってしまったのである。

原爆ドームは、多くの被爆者たちの祈りがこめられている。
「二度と同じことが起こってはいけない!」と
それは、戦争だけではない。核兵器だけでもない。
被爆者をもう、出してはいけない。
少なくとも唯一の被爆国である日本でそんなことがあってはいけない!
罪のない一般の人たちを被爆させては絶対にいけない!!
常にそう訴えメッセージをだし続けていたのである。

それなのに・・・子供たちを含め、被爆者になっちゃったよ
首都圏の学校の修学旅行で原爆ドームに中学生が行く。
「私達も被爆者仲間になっちゃいました・・・・」


僕ら大人たちは何をしていたんだろうか!
8月には広島・長崎での平和の日。
まさに、平和ボケをしていたんだ。
本当に攻撃なんかするかどうか分からない仮想敵国の脅威を植え付けられて
本来の意味を忘れていたんだ。何が世界を平和に!だ。何が憲法9条だ!
オバマ大統領に今年こそ平和式典に来てもらおう!
原爆を落とした当事国(加害者)だから来られないんだろう!などといっていた。

何を勘違いしていたんだろうか!
非核三原則?
違ったじゃないか!今は、できれば、ゴミとして核物質捨てるくらいなら
核兵器作った方がいいのでは?と思うほど、もてあましている。核だらけだ!
最終処理もできないのにどんどん作っていった原発。
それを、見過ごしてきてしまったのである。

HIROSAHIMA  NAGASAKI   FUKUSHIMAという見出しで記事を書いたアメリカの新聞に抗議した日本政府。
原爆の核と原子力発電の核は違うものだと日本政府も東電も日本国民も思っていた。
世界は違ったのだ。原爆も原発も核は核だったのだ。放射能だったのだ。
だから、米紙の見出しは決して間違っていないのだ。
それに抗議をした日本政府
抗議された側は 「?」だっただろう。
政府ともども平和ボケだったのだ。もしも、核兵器を作っていれば、違っていたかもしれない。

まさに  HIROSHIMA  NAGASAKI  FUKUSHIMA なのだ

映画「夕凪の街、桜の国」の宣伝を担当した。
あの原発が落ちた日。
戦時下といえども、普通の生活をしていた広島の人達。
ピカドンで一転してしまった。
爆弾によって亡くなってしまった家族。
それだけではない。
放射能被害による結婚問題、次の世代への問題も描かれている。

涙ながらに宣伝をした記憶がある。
「この映画は、『忘れてはいけない記憶』として伝えなくてはいけない」
そんな使命感に燃えて、気合いを入れた。
それなのに・・・・・・・。気がつかなかった。
原爆の核と原発の核が同じものだった事を。

村上春樹さんの20分間のメッセージは心に響いた。
そうなんだ!我々がバカだったのだ。
原爆ドームのメッセージとは反核、戦争をしないこと、核兵器を作らないことだけではなく、
広島の人たちが、戦争後も戦争を知らない子供たちや孫たちにも影響を与え苦しんだ

被爆者を出さない事!!


これが、一番のメッセージなのではないか!

その後、被害者が多く出たが、チェルノブイリは原爆ドームのメッセージを理解して
一般の被害者をできるだけ最小に抑えたのではないか

今、日本は唯一の被爆国としての責任を果たし
一番のメッセージである「被爆者を出さない事!!」
その原爆の被害者の方たちの声を聞いて対応しているだろうか?

原爆ドームから、その方たちの嘆き悲しむ声が聞こえてくるような気がする
その声を、中学生たちは聞いてくるのだ。

核兵器と共に原発を地球上から近い将来、失くさなくてはいけないと考える。
その為に電力少なくなってもしょうがない。大停電しても我慢する。
そのせいで経済が停滞し、本当に戦後の何もない時代になってしまってもしょうがない。
それでも、大人たちは頑張って生きて、次の世代への責任を果たさなくてはいけない。
それが、原爆ドームからの声に対して答えていく唯一の方法なのではないか。

今回の原発人災で、核の平和利用というのは、「見切り発車」だったことが、良くわかった。
核を人類が手中に収めることが出来るようになる未来に託し、その時、もう一度原子力発電所を再開すれば良い。それまでは、原子力発電所を原子力冷蔵庫として燃料棒を冷やし続けていくしかない。
「ここに入れとけば大丈夫だよ!」というような冷蔵庫。
それが、出来ないうちに「安全」という言葉を使うのは時期尚早である。

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