TVでは、節電!節電!と叫び。本当に30℃超えて熱中症が出るとエアコンは使えという。
おいおい!こんな事じゃ、視聴率が一桁になっていくわけだ。
なんで節電するのか?
電力供給量が少なくなる。それは、わかる。
需要と供給のバランスが崩れるとどうなる。
供給を需要が上回るとどうなる。
予期せぬ大規模停電!
と、いう脅し文句を無責任に報道する。
これは、原発再稼働の為の脅しだと言う人もいる。
僕も、そう思う。
仮にそうでなかったとして、予期せぬ大停電が起きた場合。
その準備をしておけばいいじゃん。
というわけで、大事なのはパツンと消えた場合、いつ復旧するの?
どの程度、電気なし生活をするの?
3日とか一週間?
誰も教えてくれないから、東京電力に電話して聞いた。
HPにでている電話番号に電話したら、「停電について」の電話番号を教えられた。
「その時に、お住まいはどこですか?」と聞かれたので、神奈川の横浜ですと答えた。
計画停電の問い合わせと思われたに違いない。
その番号はこちら
0120-99-5772
「あの~~。いわゆる大規模停電について聞きたいんですが・・・」
「はい」
「仮にですね。大規模停電になった場合、その復旧にどのくらいの時間がかかるんですか?」
「まったく、メドはたっていません」
「え?なんでですか?想定されている大規模停電の復旧対策をしてないんですか?早ければ最低2日とか一週間とかそのくらいはわかるんじゃないですか?・・・・」
ブレーカーが落ちてしまうのと変わらないのでは・・・と言おうと思ったが、
「少々お待ち下さい」と、保留音になった。
NTT並みに待たされたら、どうやって怒ってやろうかと思っていたが、1分弱で再び担当が出てきた
「大規模停電の際、大口需要社などに下げてもらい、電力供給を再び行う為、概ね半日のメドで復旧します。家庭でのブレーカーが落ちるのと同じですから、需要を下げれば復旧します。」
「え?半日?」
「そうです」
「ありがとうございました」
3.11の当日は15:00前に停電し、夜の22:00過ぎに復旧した。約7時間。
突然だったので、心構えも準備もできてなかったが、そんなに不便はしなかった。
なんとかなった。
でも、今は違う。計画停電もあり、「停電」の準備もできている。
あの時と違うのは暑いことくらい。
電力のピークは午後2時とか午後4時らしい。
午後2時にパツンと消えても、夜中の2時には復旧する。
午後4時に消えても朝の4時に復旧。
困るのは帰宅の電車が止まることだけど、復旧は早いのでは・・・
別にバスで帰ってもいいかも
エアコンの室外機による熱風がないから外で夕涼みしてもいいかも
その夜は、首都圏は一部自家発電のあるとこ以外は真っ暗。
ろうそくの炎の元で、懐中電灯の灯りで夕食。
昨日もライトダウンイベントをしていたけど
一晩だけの強制的なライトダウン。
半日だけなら、いいじゃん。
それなら、一部工場などに影響はあるかもしれないけど
あの不公平な計画停電よりましなのでは?
いい加減な報道ばかりするマスコミも逆に「大停電の夜」の過ごし方。
昼間はどこで過ごせばいいのか?
夜はどうすればいいのか?
犯罪防止の為にはどうすればいいのか?
帰宅手段は?
でも、半日で復旧なので、そんなに大被害を被ることはない。
もしも、盛り上がれば、毎年一度、「停電の日」を作って、本当の自然の夜を過ごす日なんて
ありかも知れない。
河原で夕涼みイベントや海岸での夕涼みとか・・・・。
困るのは病院かな?
病院を選ぶ時は、まず、自家発電があるかどうかをチェックすればいい。
あとは、信号。渋滞はしょうがないからゆっくり走り「譲り合いの心」を持って走る。
できれば、信号は、自家発電で機能するものを多く設置しましょう。
僕の駐車違反やスピード違反の反則金がそれに使われるなら納得!!!
そうそう!ちょっと、待てよ。
東電のいう「『大口需要社』に下げてもらって・・・・」の大口需要社、もう、それは、チェック済みだと思う。ということは、家庭でドライアー使った途端に停電。ドライアー消して、ブレーカー上げればOK!それと同じで、下げれば復活。
わかってれば、半日もかからず復旧するのでは?
普段は東電の電気使ってるけど、緊急事態は自家発電できるTV局とかが、切り替えれば、すぐ復旧できると思うけど・・・・・。
それに、夜は工場とか終わって、電気切るので、供給内になる。消えた途端に
「今日は半休だ!みんな帰ろう!」っていう会社もあるかも。となれば、
「大規模停電」になっても、暗くなる夜には、復旧できてるのでは?
それはそれで、ちょっと 残念。
一晩真っ暗で、満月だったりすると、翌年はベビーブームで、少子化対策にも一役!
あれ?「大停電」って良い事づくめなのでは?
でも、最初に問い合わせした時の東京電力の対応
「メドはたってません」は、なんだったんだろうか?
しかも、あの1分の間は何だったんだろうか?
2011年6月23日木曜日
2011年6月21日火曜日
首都圏大停電
きっと、子供の頃にTVで観た「ニューヨーク大停電」という映画。
細かいことは、覚えていないけど、終わった後、とっても、気持ちが良かった印象がある。
なんだかロマンチックな雰囲気を思い出す。
そのせいだろうか?
「大停電」という言葉は、僕にとっては、素敵な言葉なのである。
そして、今年、3月11日、住んでいる地区は停電をした。
どこまでの大停電だったかは、不明だが、周り中電気が消えていた。
さらに、計画停電。
今年は、そういうわけで、何十年かぶりに長時間停電を体験した。
前にも書いたが、停電で、家族の絆は深まり、近所との会話も増えた。
さらに、ラジオのありがたみ、懐中電灯の威力。
次の計画停電は、いつだろう!と、ちょっとわくわくしたりしていたけど、停電慣れしたら無くなった。
元々本当に必要だったのか?計画停電。
嘘しかつかない国と政府だから、信用できないけど、
嘘じゃなかったら、需要と供給のバランスが崩れ「予期せぬ大停電」がくるという。
「大停電」?
僕にとっては、この言葉は「良い言葉」だ。
ロマンチックな出来事が起こったり、素敵な出会いがあったり、・・・・・
そういえば、大停電の翌年、生まれた子供がいっぱいいたとか・・・
そんな話も聞いたことがある。
しかし、本当に大停電したら、どうなる?
夏のピークは午後2時だという。そうすると、午後パツン!と消えてしまうわけだ。
信号は消え、電車は止まり、エアコンも止まる。とりあえず、真っ暗にならない。
家庭では、冷蔵庫の電気が止まり、中のものが危険になる。
家庭によっては、水道も止まったり、ガスも止まったりするらしい
計画停電ではないから、電気がついているところは自家発電や太陽光発電などのところのみ、意外と大丈夫なところも多そうだけど、ほとんどはパツン状態
明日から、東京も30度を超えるらしい。
今日の電車の暑さは、かなり不満を持っていた人がいっぱいいた。
これ以上は耐えられないと・・・・
明日の電力予想は83%とテレビでいっていた。
暑さに慣れてないタイミングだから、余計に暑さを感じるだろう。
さすがにエアコンの設定温度も下げるし「弱」から「強」へ。
しかも、節電法は7月1日から・・・企業もシビアな節電をしない。
明日、パツンかもしれない
何週間か前は、90%以上の予測が出ていたが、明日の方が心配ではないか?
やはり、東電の供給値は良くわからない。
明日乗り越えたら、原発いらないという結果になるのでは?
なにはともあれ、パツン!になる可能性はあるわけで、
その準備をしておきましょう。もう、あの3か月前のパニックはすっかり忘れ去られてます。
①水は、今、どこにいってもまとめ買いできます
②電池も豊富に売ってます
③ガスコンロもガスも豊富に売ってます
④カップ麺も充実してます
いろいろと買っておいた方がよいかも・・・
停電になると休業するコンビニがけっこう多かったし。
次に電車が止まる。復旧までの時間によっては、長時間になるかもしれない。
信号が消えることで、道路は渋滞するけど、(首都高が、全面長時間通行止めにはならないから、3.11ほど渋滞しないと思う)、バス路線マップチェックを忘れずに。
バスはエアコン効いてるかも・・。
そうならないように車移動!というあなた
コインパーキングは停電になると車止めが降りないから要注意!!
もちろんタワーパーキングも
おっと、ガソリンは常に満タンに・・
食生活も気をつけなくては!
作り置きはしないように、その日食べるものは、その日のうちに。
冷蔵庫が使えないと腐ってしまうかも・・・
雨の日だと需要量が減るから、当然、晴れの日にパツンのはずだ
問題は暑さ対策だ・・・。
まずは水を持ち歩く!これは最低限必要。自動販売機が使えないから
風通しが良ければいいが、それ以外の室内は高温
そういうわけで、外の日陰で過ごしましょう。
意外と気持ちいいかも・・・
僕は、車移動が多い。
車を利用している時にパツンとくることも当然ある。
ガソリンがあるなら、ゆっくりと帰りましょう!
ただ、もしも、お年寄りや、子供が、熱中症になっていたり、その姿を見かけたら、道路は渋滞だと思われるので、救急車来るまで、自分の車でエアコン効かせて休ませてあげましょう。
病院も自家発電がないのなら、緊急手術以外は夜中にやりましょう。
もしも、入院予定と手術予定があるなら、お早めに・・
他にもいろいろと考えると楽しくなっていく。
想定内の大停電
だから、節電ばかり言わずに、「大停電の備え」も発表すべきでしょう。
放射能での殺人政策で失敗してるわけで、同じ過ちを繰り返さないように、繰り返したら、バカでしょう。原発推進用停電脅迫で、「大停電」しちゃうならなおさら・・・。
想定出来てるから、復旧も早いはず、どこをどうして復旧させるかは、出来ているはず。
半日もあれば、復旧するのでは?この辺は、わからないので調べてみよう。
東電に明日電話して聞いてみよう。どう答えるかな?
大停電になってもならなくても原発の必要性は少なくなるのは間違えない。
このまま、再稼働OKの自治体がなければ来年春には原発0の国になる。
一時、供給は減るけど、乗り越えちゃえばいいわけだ。
僕にとっては「大停電」は「良い言葉」だから、Okだ!
本当は原発なくても、供給できちゃうんじゃないの?
大停電の日は、暑くてしょうがないから、今、暑さに耐えてエアコン使わないのは良くないな。
設定温度もさげて、思いっきり冷やしますか!
スイッチオン!!!
パツン (;一_一)
細かいことは、覚えていないけど、終わった後、とっても、気持ちが良かった印象がある。
なんだかロマンチックな雰囲気を思い出す。
そのせいだろうか?
「大停電」という言葉は、僕にとっては、素敵な言葉なのである。
そして、今年、3月11日、住んでいる地区は停電をした。
どこまでの大停電だったかは、不明だが、周り中電気が消えていた。
さらに、計画停電。
今年は、そういうわけで、何十年かぶりに長時間停電を体験した。
前にも書いたが、停電で、家族の絆は深まり、近所との会話も増えた。
さらに、ラジオのありがたみ、懐中電灯の威力。
次の計画停電は、いつだろう!と、ちょっとわくわくしたりしていたけど、停電慣れしたら無くなった。
元々本当に必要だったのか?計画停電。
嘘しかつかない国と政府だから、信用できないけど、
嘘じゃなかったら、需要と供給のバランスが崩れ「予期せぬ大停電」がくるという。
「大停電」?
僕にとっては、この言葉は「良い言葉」だ。
ロマンチックな出来事が起こったり、素敵な出会いがあったり、・・・・・
そういえば、大停電の翌年、生まれた子供がいっぱいいたとか・・・
そんな話も聞いたことがある。
しかし、本当に大停電したら、どうなる?
夏のピークは午後2時だという。そうすると、午後パツン!と消えてしまうわけだ。
信号は消え、電車は止まり、エアコンも止まる。とりあえず、真っ暗にならない。
家庭では、冷蔵庫の電気が止まり、中のものが危険になる。
家庭によっては、水道も止まったり、ガスも止まったりするらしい
計画停電ではないから、電気がついているところは自家発電や太陽光発電などのところのみ、意外と大丈夫なところも多そうだけど、ほとんどはパツン状態
明日から、東京も30度を超えるらしい。
今日の電車の暑さは、かなり不満を持っていた人がいっぱいいた。
これ以上は耐えられないと・・・・
明日の電力予想は83%とテレビでいっていた。
暑さに慣れてないタイミングだから、余計に暑さを感じるだろう。
さすがにエアコンの設定温度も下げるし「弱」から「強」へ。
しかも、節電法は7月1日から・・・企業もシビアな節電をしない。
明日、パツンかもしれない
何週間か前は、90%以上の予測が出ていたが、明日の方が心配ではないか?
やはり、東電の供給値は良くわからない。
明日乗り越えたら、原発いらないという結果になるのでは?
なにはともあれ、パツン!になる可能性はあるわけで、
その準備をしておきましょう。もう、あの3か月前のパニックはすっかり忘れ去られてます。
①水は、今、どこにいってもまとめ買いできます
②電池も豊富に売ってます
③ガスコンロもガスも豊富に売ってます
④カップ麺も充実してます
いろいろと買っておいた方がよいかも・・・
停電になると休業するコンビニがけっこう多かったし。
次に電車が止まる。復旧までの時間によっては、長時間になるかもしれない。
信号が消えることで、道路は渋滞するけど、(首都高が、全面長時間通行止めにはならないから、3.11ほど渋滞しないと思う)、バス路線マップチェックを忘れずに。
バスはエアコン効いてるかも・・。
そうならないように車移動!というあなた
コインパーキングは停電になると車止めが降りないから要注意!!
もちろんタワーパーキングも
おっと、ガソリンは常に満タンに・・
食生活も気をつけなくては!
作り置きはしないように、その日食べるものは、その日のうちに。
冷蔵庫が使えないと腐ってしまうかも・・・
雨の日だと需要量が減るから、当然、晴れの日にパツンのはずだ
問題は暑さ対策だ・・・。
まずは水を持ち歩く!これは最低限必要。自動販売機が使えないから
風通しが良ければいいが、それ以外の室内は高温
そういうわけで、外の日陰で過ごしましょう。
意外と気持ちいいかも・・・
僕は、車移動が多い。
車を利用している時にパツンとくることも当然ある。
ガソリンがあるなら、ゆっくりと帰りましょう!
ただ、もしも、お年寄りや、子供が、熱中症になっていたり、その姿を見かけたら、道路は渋滞だと思われるので、救急車来るまで、自分の車でエアコン効かせて休ませてあげましょう。
病院も自家発電がないのなら、緊急手術以外は夜中にやりましょう。
もしも、入院予定と手術予定があるなら、お早めに・・
他にもいろいろと考えると楽しくなっていく。
想定内の大停電
だから、節電ばかり言わずに、「大停電の備え」も発表すべきでしょう。
放射能での殺人政策で失敗してるわけで、同じ過ちを繰り返さないように、繰り返したら、バカでしょう。原発推進用停電脅迫で、「大停電」しちゃうならなおさら・・・。
想定出来てるから、復旧も早いはず、どこをどうして復旧させるかは、出来ているはず。
半日もあれば、復旧するのでは?この辺は、わからないので調べてみよう。
東電に明日電話して聞いてみよう。どう答えるかな?
大停電になってもならなくても原発の必要性は少なくなるのは間違えない。
このまま、再稼働OKの自治体がなければ来年春には原発0の国になる。
一時、供給は減るけど、乗り越えちゃえばいいわけだ。
僕にとっては「大停電」は「良い言葉」だから、Okだ!
本当は原発なくても、供給できちゃうんじゃないの?
大停電の日は、暑くてしょうがないから、今、暑さに耐えてエアコン使わないのは良くないな。
設定温度もさげて、思いっきり冷やしますか!
スイッチオン!!!
パツン (;一_一)
2011年6月17日金曜日
東急バスが好き!
実は、凄いHPに偶然出会った。
東急バスギャラリー 別館。http://shibu72.exblog.jp/10055545/
僕は、小学校の頃から、バス通学をしていた。東急バスだった。バス停で待っていると数多くのバスを学校帰りにみていた。時には小田急バスも。
そんなわけで、バスが大好きになった。大好きだけじゃない。あの当時は、バスをみるだけで、定員何人乗りかもわかった。それに、日産やら三菱ふそうやらもわかった。
当時は凄かった。通勤通学の時間は満員になり、大型のバスが走っていた。90人乗りや100人乗りなんていうのもあった。そんな大きなバスが狭い道をくねくね走る姿は子供心に感動したものだった。
もちろん、一番前に座るのが好きだった。運転手と知り合いにもなった。
うっかり、バスに体操服を忘れたら、学校まで届けてくれた運転手さんもいた。今から思えば、凄い時代だった。どこにバスを置いてきたんだろうか?今思い出しても謎である。
一部を見つけたので、載せてみた。
もう、無くなってしまった写真というよりも記憶。
見ることもできないのか・・・・と、思っていたら、
こんなHPに偶然出くわした。
http://shibu72.exblog.jp/10055545/
どなたが運営しているのかわからないけど、とにかく素晴らしい
写真をみていると、自然と「あ、93人乗り」と、思い出す。
これは、日産だ!とか頭の中に甦ってきた。
この中にあるロマンスコーナー。
時にはワンロマとも呼ばれているが、普通の路線バスなんだけど、全てがクロスシート(前向き)で
ちょっとした観光バス風の路線バス。これが、実は大好きである。
イレギュラーものが子供のころから大好きだった。そういえば、通勤通学時の大型バスが走っている時間帯に時折、72人乗りのバスが来たりして、余計満員になったりするようなイレギュラーが好きだった。その当時、二子玉川から横浜までの第三京浜を走るバスがあった。
これが、大好きだった。なぜなら、路線バス風なのに車内は観光バス風の今のワンロマタイプのバスだったからだ。
今は路線バスは路線バスだけど空港や深夜急行バスに観光バスタイプが走っている。
塗装は路線バスなのに中は観光バスというイレギュラータイプもあったりして
実は、最近もちょっとバスオタク心が、ムラッと甦ったりもしていたけど、
このHPと出会って、ちょっと、ちゃんとイレギュラーバス写真を撮っておこうかな?と
そうそう、ちょっと前には3扉バスがあったけど無くなっちゃったな・・・・・。
でも、超小型バスやらマイクロ路線バスもあったりして面白いかも・・・。
2011年6月15日水曜日
原爆ドームに謝罪・・・
姪っ子が間もなく修学旅行に行く。広島に行くのだ。
広島と京都に行くという。なかなか最近は粋なことをする。
しかし、最初は聞いた時は違った。なんという無駄な事を!!!
京都・奈良という定番ではなく京都・広島とは。定番でいいのでは?と思った。
でも、今は違っている。今だから違うのである。
修学旅行などで連れて行ってもらわないと首都圏から広島にはなかなか行けない。
僕も、昔、広島で映画のキャンペーンがあって、ちょっとした隙に行ってみた。
もちろんゆっくりはしていられなかった。
思いのほか小さいなと思ったけど、なんだか重厚感があり、不思議な空気を感じ、戦争の悲惨さと核爆弾の恐ろしさなど、不思議と空気が反核へと導いてくれるのである。
そこに修学旅行でいくという。
きっと、ゆっくり見て回ると原爆の恐ろしさ、核の恐ろしさ、被爆者の苦しみをまざまざと知ることになるだろう。そして、戦争はいけない!核兵器など世界から撲滅させるべきだと普通に思うだろう。
でも、今は違う、3.11前の日本とは別の国になってしまったのである。
核兵器を持たない国だったはずなのに、他の国から核攻撃を受けたわけでもないのに被爆してしまったのである。
首都圏も福島も・・・・多かれ少なかれ、3.11前の放射能とは違い、通常時の何倍もの放射能を浴びてしまったのである。
そう、被爆者になってしまったのである。
原爆ドームは、多くの被爆者たちの祈りがこめられている。
「二度と同じことが起こってはいけない!」と
それは、戦争だけではない。核兵器だけでもない。
被爆者をもう、出してはいけない。
少なくとも唯一の被爆国である日本でそんなことがあってはいけない!
罪のない一般の人たちを被爆させては絶対にいけない!!
常にそう訴えメッセージをだし続けていたのである。
それなのに・・・子供たちを含め、被爆者になっちゃったよ
首都圏の学校の修学旅行で原爆ドームに中学生が行く。
「私達も被爆者仲間になっちゃいました・・・・」
僕ら大人たちは何をしていたんだろうか!
8月には広島・長崎での平和の日。
まさに、平和ボケをしていたんだ。
本当に攻撃なんかするかどうか分からない仮想敵国の脅威を植え付けられて
本来の意味を忘れていたんだ。何が世界を平和に!だ。何が憲法9条だ!
オバマ大統領に今年こそ平和式典に来てもらおう!
原爆を落とした当事国(加害者)だから来られないんだろう!などといっていた。
何を勘違いしていたんだろうか!
非核三原則?
違ったじゃないか!今は、できれば、ゴミとして核物質捨てるくらいなら
核兵器作った方がいいのでは?と思うほど、もてあましている。核だらけだ!
最終処理もできないのにどんどん作っていった原発。
それを、見過ごしてきてしまったのである。
HIROSAHIMA NAGASAKI FUKUSHIMAという見出しで記事を書いたアメリカの新聞に抗議した日本政府。
原爆の核と原子力発電の核は違うものだと日本政府も東電も日本国民も思っていた。
世界は違ったのだ。原爆も原発も核は核だったのだ。放射能だったのだ。
だから、米紙の見出しは決して間違っていないのだ。
それに抗議をした日本政府
抗議された側は 「?」だっただろう。
政府ともども平和ボケだったのだ。もしも、核兵器を作っていれば、違っていたかもしれない。
まさに HIROSHIMA NAGASAKI FUKUSHIMA なのだ
映画「夕凪の街、桜の国」の宣伝を担当した。
被爆者を出さない事!!
これが、一番のメッセージなのではないか!
その後、被害者が多く出たが、チェルノブイリは原爆ドームのメッセージを理解して
一般の被害者をできるだけ最小に抑えたのではないか
今、日本は唯一の被爆国としての責任を果たし
一番のメッセージである「被爆者を出さない事!!」
その原爆の被害者の方たちの声を聞いて対応しているだろうか?
原爆ドームから、その方たちの嘆き悲しむ声が聞こえてくるような気がする
その声を、中学生たちは聞いてくるのだ。
核兵器と共に原発を地球上から近い将来、失くさなくてはいけないと考える。
その為に電力少なくなってもしょうがない。大停電しても我慢する。
そのせいで経済が停滞し、本当に戦後の何もない時代になってしまってもしょうがない。
それでも、大人たちは頑張って生きて、次の世代への責任を果たさなくてはいけない。
それが、原爆ドームからの声に対して答えていく唯一の方法なのではないか。
今回の原発人災で、核の平和利用というのは、「見切り発車」だったことが、良くわかった。
核を人類が手中に収めることが出来るようになる未来に託し、その時、もう一度原子力発電所を再開すれば良い。それまでは、原子力発電所を原子力冷蔵庫として燃料棒を冷やし続けていくしかない。
「ここに入れとけば大丈夫だよ!」というような冷蔵庫。
それが、出来ないうちに「安全」という言葉を使うのは時期尚早である。
広島と京都に行くという。なかなか最近は粋なことをする。
しかし、最初は聞いた時は違った。なんという無駄な事を!!!
京都・奈良という定番ではなく京都・広島とは。定番でいいのでは?と思った。
でも、今は違っている。今だから違うのである。
修学旅行などで連れて行ってもらわないと首都圏から広島にはなかなか行けない。
僕も、昔、広島で映画のキャンペーンがあって、ちょっとした隙に行ってみた。
もちろんゆっくりはしていられなかった。
思いのほか小さいなと思ったけど、なんだか重厚感があり、不思議な空気を感じ、戦争の悲惨さと核爆弾の恐ろしさなど、不思議と空気が反核へと導いてくれるのである。
そこに修学旅行でいくという。
きっと、ゆっくり見て回ると原爆の恐ろしさ、核の恐ろしさ、被爆者の苦しみをまざまざと知ることになるだろう。そして、戦争はいけない!核兵器など世界から撲滅させるべきだと普通に思うだろう。
でも、今は違う、3.11前の日本とは別の国になってしまったのである。
核兵器を持たない国だったはずなのに、他の国から核攻撃を受けたわけでもないのに被爆してしまったのである。
首都圏も福島も・・・・多かれ少なかれ、3.11前の放射能とは違い、通常時の何倍もの放射能を浴びてしまったのである。
そう、被爆者になってしまったのである。
原爆ドームは、多くの被爆者たちの祈りがこめられている。
「二度と同じことが起こってはいけない!」と
それは、戦争だけではない。核兵器だけでもない。
被爆者をもう、出してはいけない。
少なくとも唯一の被爆国である日本でそんなことがあってはいけない!
罪のない一般の人たちを被爆させては絶対にいけない!!
常にそう訴えメッセージをだし続けていたのである。
それなのに・・・子供たちを含め、被爆者になっちゃったよ
首都圏の学校の修学旅行で原爆ドームに中学生が行く。
「私達も被爆者仲間になっちゃいました・・・・」
僕ら大人たちは何をしていたんだろうか!
8月には広島・長崎での平和の日。
まさに、平和ボケをしていたんだ。
本当に攻撃なんかするかどうか分からない仮想敵国の脅威を植え付けられて
本来の意味を忘れていたんだ。何が世界を平和に!だ。何が憲法9条だ!
オバマ大統領に今年こそ平和式典に来てもらおう!
原爆を落とした当事国(加害者)だから来られないんだろう!などといっていた。
何を勘違いしていたんだろうか!
非核三原則?
違ったじゃないか!今は、できれば、ゴミとして核物質捨てるくらいなら
核兵器作った方がいいのでは?と思うほど、もてあましている。核だらけだ!
最終処理もできないのにどんどん作っていった原発。
それを、見過ごしてきてしまったのである。
HIROSAHIMA NAGASAKI FUKUSHIMAという見出しで記事を書いたアメリカの新聞に抗議した日本政府。
原爆の核と原子力発電の核は違うものだと日本政府も東電も日本国民も思っていた。
世界は違ったのだ。原爆も原発も核は核だったのだ。放射能だったのだ。
だから、米紙の見出しは決して間違っていないのだ。
それに抗議をした日本政府
抗議された側は 「?」だっただろう。
政府ともども平和ボケだったのだ。もしも、核兵器を作っていれば、違っていたかもしれない。
まさに HIROSHIMA NAGASAKI FUKUSHIMA なのだ
映画「夕凪の街、桜の国」の宣伝を担当した。
戦時下といえども、普通の生活をしていた広島の人達。
ピカドンで一転してしまった。
爆弾によって亡くなってしまった家族。
それだけではない。
放射能被害による結婚問題、次の世代への問題も描かれている。
涙ながらに宣伝をした記憶がある。
「この映画は、『忘れてはいけない記憶』として伝えなくてはいけない」
そんな使命感に燃えて、気合いを入れた。
それなのに・・・・・・・。気がつかなかった。
原爆の核と原発の核が同じものだった事を。村上春樹さんの20分間のメッセージは心に響いた。
そうなんだ!我々がバカだったのだ。
原爆ドームのメッセージとは反核、戦争をしないこと、核兵器を作らないことだけではなく、
広島の人たちが、戦争後も戦争を知らない子供たちや孫たちにも影響を与え苦しんだ
被爆者を出さない事!!
その後、被害者が多く出たが、チェルノブイリは原爆ドームのメッセージを理解して
一般の被害者をできるだけ最小に抑えたのではないか
今、日本は唯一の被爆国としての責任を果たし
一番のメッセージである「被爆者を出さない事!!」
その原爆の被害者の方たちの声を聞いて対応しているだろうか?
原爆ドームから、その方たちの嘆き悲しむ声が聞こえてくるような気がする
その声を、中学生たちは聞いてくるのだ。
核兵器と共に原発を地球上から近い将来、失くさなくてはいけないと考える。
その為に電力少なくなってもしょうがない。大停電しても我慢する。
そのせいで経済が停滞し、本当に戦後の何もない時代になってしまってもしょうがない。
それでも、大人たちは頑張って生きて、次の世代への責任を果たさなくてはいけない。
それが、原爆ドームからの声に対して答えていく唯一の方法なのではないか。
今回の原発人災で、核の平和利用というのは、「見切り発車」だったことが、良くわかった。
核を人類が手中に収めることが出来るようになる未来に託し、その時、もう一度原子力発電所を再開すれば良い。それまでは、原子力発電所を原子力冷蔵庫として燃料棒を冷やし続けていくしかない。
「ここに入れとけば大丈夫だよ!」というような冷蔵庫。
それが、出来ないうちに「安全」という言葉を使うのは時期尚早である。
2011年6月12日日曜日
AKB選挙と原発と菅の嘘
映画とか音楽などエンタテインメントは、タイトルや内容を知ってもらうために、パフォーマンスやイベントを仕掛け、新聞やTVで取材してもらう。できれば、トップ記事になるような企画を練る。
その日に大きな事が起きれば、飛んでしまったり、小さくなってしまったりと、それは、その後の売れ行きに大きくかかわってしまう。
しかし、だからと言って嘘のネタを流すことはない。
流石に最近は、でっち上げの恋愛ネタも流すことは少なくなった。
どうも、民主党は、パフォーマンスがお好きなようだ。
それも、狙いはNHKや新聞のトップ記事狙いのパフォーマンスだ。
その為には、多少大げさに言ってみたり、断言めいた事をいってみたり。
「国民にしっかりと動いていることを知ってもらう為」そのパフォーマンスである。
カメラマン準備させて、事故発生していきなり福島原発に行ったり、
内閣が準備した放水車の写真準備したり、戦車の移動するところを取材させたり。
これまでも、「なんだ~~?大事なこと後回しで、宣伝か?」と思ったりした。
そして、今の政界はなんなんだ?
辞めると言ってみたり、今とは言ってないとか
TVカメラの前で全国に発信したのに・・・・・・・。
菅の国会答弁で鳩山のペテン師発言を追及されると
「マスコミ報道については答えられない・・・・」と
え?カメラの前で本人がしゃべってる事なのに?まるでマスコミが編集したもののようにいうわけ?
今回の震災、そして、人災である原発事故直後の国会で菅は
「今後の原子力政策はすべてをゼロから見直す。」といっておいて
その日の夜のフランス大統領にあった後は
原子力と新エネルギーの両立といった。
今回も、
「浜岡原発停止」といった次の日は
「原発をすべて廃止と言ってない。これまでどおりだ!」と被災地の野菜など食べながら言っていた。
2020年までに自然エネルギーと再生エネルギーで20%とG8で外国人記者や首脳のいないところで発表。でも、もちろん、日本のマスコミはトップ記事。
エンタテインメントの宣伝担当としては、こんな楽な宣伝はない。
例えば映画の主役が、ある事ない事いって新聞紙上を騒がす。
映画認知度は100%近く跳ね上がる。もちろん映画は大ヒット!!!
そればかりやってると、いずれ公正取引委員会からお咎めが来るに違いない
でも、その法律の大元がやってるんだから、いいじゃん!
と続ければ出す映画出す映画大ヒット!!!!
なんて、思っているほど、国民はバカじゃない。
ちゃんと、一瞬にして見極め「こんなウソには騙されない。どうせ宣伝でしょう?」と気づき総スカンを食い映画も主役もボロボロになっていく。
政治はエンタテインメントではない。
言ったことには責任をとらなくてはいけない。
とはいえ、現政権は責任転嫁はお手の物。
「だって、そもそもあいつが悪いんだよ」「私は言った覚えはない」の子供の喧嘩方式で責任転嫁をする。
今日も、坂本龍一さんや孫正義さんらと新エネルギーについて会合を開くようだが、そんなことして大丈夫なのか?菅。当然、マスコミも取り上げるだろう。
このパフォーマンスは後に引けないものになるけど・・・・。
もちろん、同席した人からは、包み隠さず本当の話が終わった後発表されるわけで、今度は
「私の口からいったものではない。」は通じない。
確か震災初期の頃、間接的にいろいろと言ったことが暴露されてたけど、
学習したのかな?
政治はエンタテインメントではないことをもう一度考えた方が・・・・よろしいのでは。
どうせ、エンタテインメントしたいなら、
AKB選挙を参考にしたらいいのでは?
金権選挙やら、CDの売り上げの為の・・・などと後ろ向きなこと言う人もいるけど、
この選挙は、48人の女の子それぞれの嘘のない人間ドキュメントなんだと思う。
当選し、役割を与えられるのかそうでないのか
トップ当選なのか?2位なのか?
それによって、大きく変わるのである。
落選した女の子は、思いっきり涙して、当選した女の子は喜びをかみしめる。
その人間ドラマが気になり、そんなにAKB48ファンでない人も気になるのである。
それこそ、芸能トップ記事なのである。
そして、政治家が参考にするところは、
当選した女の子は、今年のAKB48を背負っていく役割りの責任を果たさねばならない。
CDの売れ行きも人気も今以上にしなくてはいけない使命があるのだ。
そうでなければ、次はその地位にいられないのだ。
民主党の皆様!いや、他の政治家の皆さん!AKBの選挙後の活動をしっかり検証してみてはいかがでしょうか?
で、活動はどうなの?と僕に聞かれても、
「一昨年に比べて、去年の盛り上がりは凄く、今年もさらにブレイクしているのでそれぞれがしっかりと責任を果たしてると思いますよ」としか言えないが・・・・。
それで、いいのでは?
実際、スポーツ新聞でも、AKBの記事が出ると、その日のスポーツ新聞の売り上げが相当上がると聞いてる。
人気もだけど、すべてを失ったどん底の日本だけどAKB48のように毎年毎年盛り上がるような未来を作っていただけないものでしょうか?政治もAKBでよろしく!
~明るい(Akarui)国(Kuni)作り(Built) なんちゃって~
その日に大きな事が起きれば、飛んでしまったり、小さくなってしまったりと、それは、その後の売れ行きに大きくかかわってしまう。
しかし、だからと言って嘘のネタを流すことはない。
流石に最近は、でっち上げの恋愛ネタも流すことは少なくなった。
どうも、民主党は、パフォーマンスがお好きなようだ。
それも、狙いはNHKや新聞のトップ記事狙いのパフォーマンスだ。
その為には、多少大げさに言ってみたり、断言めいた事をいってみたり。
「国民にしっかりと動いていることを知ってもらう為」そのパフォーマンスである。
カメラマン準備させて、事故発生していきなり福島原発に行ったり、
内閣が準備した放水車の写真準備したり、戦車の移動するところを取材させたり。
これまでも、「なんだ~~?大事なこと後回しで、宣伝か?」と思ったりした。
そして、今の政界はなんなんだ?
辞めると言ってみたり、今とは言ってないとか
TVカメラの前で全国に発信したのに・・・・・・・。
菅の国会答弁で鳩山のペテン師発言を追及されると
「マスコミ報道については答えられない・・・・」と
え?カメラの前で本人がしゃべってる事なのに?まるでマスコミが編集したもののようにいうわけ?
今回の震災、そして、人災である原発事故直後の国会で菅は
「今後の原子力政策はすべてをゼロから見直す。」といっておいて
その日の夜のフランス大統領にあった後は
原子力と新エネルギーの両立といった。
今回も、
「浜岡原発停止」といった次の日は
「原発をすべて廃止と言ってない。これまでどおりだ!」と被災地の野菜など食べながら言っていた。
2020年までに自然エネルギーと再生エネルギーで20%とG8で外国人記者や首脳のいないところで発表。でも、もちろん、日本のマスコミはトップ記事。
エンタテインメントの宣伝担当としては、こんな楽な宣伝はない。
例えば映画の主役が、ある事ない事いって新聞紙上を騒がす。
映画認知度は100%近く跳ね上がる。もちろん映画は大ヒット!!!
そればかりやってると、いずれ公正取引委員会からお咎めが来るに違いない
でも、その法律の大元がやってるんだから、いいじゃん!
と続ければ出す映画出す映画大ヒット!!!!
なんて、思っているほど、国民はバカじゃない。
ちゃんと、一瞬にして見極め「こんなウソには騙されない。どうせ宣伝でしょう?」と気づき総スカンを食い映画も主役もボロボロになっていく。
政治はエンタテインメントではない。
言ったことには責任をとらなくてはいけない。
とはいえ、現政権は責任転嫁はお手の物。
「だって、そもそもあいつが悪いんだよ」「私は言った覚えはない」の子供の喧嘩方式で責任転嫁をする。
今日も、坂本龍一さんや孫正義さんらと新エネルギーについて会合を開くようだが、そんなことして大丈夫なのか?菅。当然、マスコミも取り上げるだろう。
このパフォーマンスは後に引けないものになるけど・・・・。
もちろん、同席した人からは、包み隠さず本当の話が終わった後発表されるわけで、今度は
「私の口からいったものではない。」は通じない。
確か震災初期の頃、間接的にいろいろと言ったことが暴露されてたけど、
学習したのかな?
政治はエンタテインメントではないことをもう一度考えた方が・・・・よろしいのでは。
どうせ、エンタテインメントしたいなら、
AKB選挙を参考にしたらいいのでは?
金権選挙やら、CDの売り上げの為の・・・などと後ろ向きなこと言う人もいるけど、
この選挙は、48人の女の子それぞれの嘘のない人間ドキュメントなんだと思う。
当選し、役割を与えられるのかそうでないのか
トップ当選なのか?2位なのか?
それによって、大きく変わるのである。
落選した女の子は、思いっきり涙して、当選した女の子は喜びをかみしめる。
その人間ドラマが気になり、そんなにAKB48ファンでない人も気になるのである。
それこそ、芸能トップ記事なのである。
そして、政治家が参考にするところは、
当選した女の子は、今年のAKB48を背負っていく役割りの責任を果たさねばならない。
CDの売れ行きも人気も今以上にしなくてはいけない使命があるのだ。
そうでなければ、次はその地位にいられないのだ。
民主党の皆様!いや、他の政治家の皆さん!AKBの選挙後の活動をしっかり検証してみてはいかがでしょうか?
で、活動はどうなの?と僕に聞かれても、
「一昨年に比べて、去年の盛り上がりは凄く、今年もさらにブレイクしているのでそれぞれがしっかりと責任を果たしてると思いますよ」としか言えないが・・・・。
それで、いいのでは?
実際、スポーツ新聞でも、AKBの記事が出ると、その日のスポーツ新聞の売り上げが相当上がると聞いてる。
人気もだけど、すべてを失ったどん底の日本だけどAKB48のように毎年毎年盛り上がるような未来を作っていただけないものでしょうか?政治もAKBでよろしく!
~明るい(Akarui)国(Kuni)作り(Built) なんちゃって~
2011年6月10日金曜日
沖縄史上最速梅雨明け記念!竹富島の長州力さん的過ごし方紹介!
![]() |
『星砂の島のちいさな天使』より |
映画初出演の長州力さん。
かっこいいのである。セリフや役作りの練習は人に見せない。
その魚はというと、高那旅館のお姉さんたちがニコニコしながら料理してくれた。
そんな過ごし方はいかが?
しかも、さりげなく
「釣りに行ってくる」と言い残し釣り竿もって港にいってしまう。
釣りなのかと思ったが、実は練習をしていたようなのである。
その甲斐あって、初の芝居にも関わらず、評判は物凄く良かった。
心にしみるセリフ回しで、ホロっとする人もいたようだ。
特に長州ファンにはたまらないようだった。
しかし、ここでいうのはそれではなく。
釣りの成果である。
真の目的はわからないが、何度も魚を釣ってきていた。
さりげなく、「今回はダメだ!」といいながら、2~3匹釣ってきていた。
唐揚げだったり。
ちょっとしたおつまみになったり。新鮮だからもちろん美味い!大好評だった。
もちろん、竹富島の魅力はビーチだったり、夕陽だったり、熱帯魚だったり、街散策だったりだが
あわただしく過ごさずに一日釣りに費やすのもいいかもしれない。
特に満潮になったら、朝とか午後、竿を海に降ろしてボーっとするのもありかも
民宿の人が、釣り好きなら色々と聞いて、竿も貸してもらって、過ごしてはいかが?
ちなみに竿が心配の際は、離島桟橋の釣り具屋さんで借りてくれば万全?
でも、釣る場所を聞かないと、熱帯魚ばかり釣れてしまうので
ご注意を!!竹富で釣った魚を料理していただくなんて最高の贅沢!
他にも、島の人にいろいろと聞けば、干潮の岩場でタコも獲れるかも・・・・・。そんな過ごし方はいかが?
2011年6月7日火曜日
竹富島の不思議・・・梅雨明け
最初は、仕事で行った石垣島。
「アジア民族芸能祭in石垣島」という物凄いイベントの広報としてお邪魔した。
その年は、雨が降ったりして野外イベントが中止になり市民会館でのイベント。
そんなわけで、混乱もしてあまりいい印象じゃなかった。
こちらの混乱とは別に、TVスタッフはゆったりと石垣島を取材していた。
そうそう、お亡くなりになったアナウンサーの鈴木君枝さんもご一緒した。
それでも、打ち上げでは、仕事もハードだったこともあり、不平たらたらだった。
「もっと、南国の島だと思ったけど、なんだか暑い日本の田舎という感じ」
「面白いところじゃない」
「海は綺麗だったけど・・・・・」
そんな感じだった。
そして、居酒屋から、ホテルまでタクシーに乗った。
タクシーで、酔っぱらった鈴木アナが、運転手さんに
「この島、面白くないですね・・・・・」と、いきなり言い出した。
驚いた!いくら酔ってるとはいえ・・・・いきなりかよ!
ところが、運転手さん
「仕事できたの?」
「はい!」
「竹富島には行ったかな?」
「いいえ!」
「行ってみるといいさ。船で10分!半日もあればゆっくり見て回れるから、・・」
「え?そんなに近いんですか? 明日の飛行機午後なんで、午前中オフだから、午前中だけで大丈夫?」
「騙されたと思って行って御覧なさいよ。きっと、また来たくなるよ」
すでに、夜中の2時過ぎ、
まあ、とりあえず、8:00ロビー集合で島に行ってみよう。起きられたらね。
朝8:00 前夜ベロベロだったわりに全員起きてきた。
確かにあっという間に着いた。
上陸したけどどうしていいのかわからない。
とりあえず、島観光のワゴン車に乗ってみた。
僕らの前日までの印象は一変した。
空気そのものがゆっくりとしていて、時間さえもゆっくりとしていた。
星砂の海岸、そしてコンドイビーチ
なんと綺麗な海岸・・・・・なのに、観光ワゴン車は降りることが出来ない。
眺めるだけ・・・・。それにしても、綺麗だった。ビーチに降りたかった・・・次はこのビーチで過ごすぞ!!!と、島に着いて30分で次のことを考えていた。
水牛車で町を回る。昔ながらの琉球瓦の街並み。
案内してくれたおじさんは三線を弾いて八重山民謡を唄う。
昨日までの忙しさやいろいろあったことがす~~~とおさまった
鈴木君枝さんはと言うとすっかりはまって、次、いつ来ようか・・・・状態に。
特に星砂浜では、星砂探しで集合に遅れそうになったくらいだ。
他のスタッフやディレクターも昨日までとは違いすっかり八重山の魅力にハマってしまった。
そのスタッフたちもその後もそれぞれで島に行っているようだった。
ディレクターとはプライベートでも一緒に来たりした。
ダイビングにすっかりハマったようだった。
その後も、僕はと言うと仕事で毎年きた。
仕事を終わらせて、その後、ちゃっかり、休みをとって竹富島に行ったり
その年に来た取材の方たちを石垣島を案内したり竹富島を案内したりで
新聞社やTVや雑誌社もすっかりハマらせることが出来た。
お陰様で記事も素晴らしく、反響も良かった。
もちろん、来た取材の人たちも八重山好きになっていった。
その後、プライベートで行ってみると、ご一緒した記者やライターと偶然港で会ったりもした。
僕も仕事とは別に休みをとって石垣島や竹富島に泊まったりを続けていった。
特に、竹富島のレンタサイクル丸八の新ちゃんとは最初の頃からの付き合いで、竹富島に泊まって竹富島の夜の星空の凄さや竹富の面白い人などを教えてくれた。
そして、毎年通って20年近くたった。
素晴らしさは変わらないままである。
八重山に通って、思っていることがある。
一番行くのに良い時期。
安くて空いてて気候もいいナンバー1は、6月20日過ぎ。
不思議だけど、どんなに異常気象でも、18日頃から天気が良くなり、20日に梅雨明けする。
毎年そうだ。このタイミングは空いてて、まだ、夏休みでもなく安い。天気は梅雨明けの晴れなので過ごしやすい。
あとは、9月末。基本的には台風は7月8月に多い。秋の台風は八重山には行かず、本土に向かっていく。それなので、那覇空港や石垣空港ではなく羽田だが台風直撃で困ることはあるけど。基本的には涼しい秋の風が吹き始め過ごしやすい。
また、祭りも始まる時期でもあるので、十五夜祭など楽しめるかも
さて、着いてからは、どうするのか?
それは、朝起きてから決める。天気がどうなのか?それから考える。
あと大事なのは、汐の潮位表。何時に干潮で何時が満潮なのか?
それが、意外と大事。海に行っても浅すぎて泳げなかったり、でも、綺麗な砂浜が遥か彼方まで現れる干潮。
僕は、干潮が昼間にあるタイミングが好きだ。歩いて珊瑚に行けて熱帯魚をいっぱい胡坐かきながら見ることが出来る。なんか贅沢だなと思う。
夜、満月は困る。明るすぎて星空が見えにくい。
そんな風に自然と会話をして、楽しみを百倍にするのだ。
そして、好きなのが、車を借りて石垣島一周。
海沿いのドライブ。何度見ても、どんな天気でも綺麗な川平湾。
北の灯台。
とにもかくにも、ビューポイントだらけ。
最近は、島の人に聞いた「秘密のビーチ」
そこは、小さな入り江。そこから海を眺めると海岸から沖まで小さな珊瑚がいっぱい。
潮が引くとまるで、置き石があるような風景になるが、その石が全部珊瑚。
散歩しながら、珊瑚のわきを通りながら、熱帯魚を眺めて沖まで行ける。
沖まで行くとリーフになっていて急激に深くなっている。
そこは、大きな魚がうようよいる。まるで自然の水族館。
四つん這いになりながらそこを眺める。
ああああ、行きたいな・・・・・。と、6月20日が近付くと毎年思う。
「アジア民族芸能祭in石垣島」という物凄いイベントの広報としてお邪魔した。
その年は、雨が降ったりして野外イベントが中止になり市民会館でのイベント。
そんなわけで、混乱もしてあまりいい印象じゃなかった。
こちらの混乱とは別に、TVスタッフはゆったりと石垣島を取材していた。
そうそう、お亡くなりになったアナウンサーの鈴木君枝さんもご一緒した。
それでも、打ち上げでは、仕事もハードだったこともあり、不平たらたらだった。
「もっと、南国の島だと思ったけど、なんだか暑い日本の田舎という感じ」
「面白いところじゃない」
「海は綺麗だったけど・・・・・」
そんな感じだった。
そして、居酒屋から、ホテルまでタクシーに乗った。
タクシーで、酔っぱらった鈴木アナが、運転手さんに
「この島、面白くないですね・・・・・」と、いきなり言い出した。
驚いた!いくら酔ってるとはいえ・・・・いきなりかよ!
ところが、運転手さん
「仕事できたの?」
「はい!」
「竹富島には行ったかな?」
「いいえ!」
「行ってみるといいさ。船で10分!半日もあればゆっくり見て回れるから、・・」
「え?そんなに近いんですか? 明日の飛行機午後なんで、午前中オフだから、午前中だけで大丈夫?」
「騙されたと思って行って御覧なさいよ。きっと、また来たくなるよ」
すでに、夜中の2時過ぎ、
まあ、とりあえず、8:00ロビー集合で島に行ってみよう。起きられたらね。
朝8:00 前夜ベロベロだったわりに全員起きてきた。
確かにあっという間に着いた。
上陸したけどどうしていいのかわからない。
とりあえず、島観光のワゴン車に乗ってみた。
僕らの前日までの印象は一変した。
空気そのものがゆっくりとしていて、時間さえもゆっくりとしていた。
星砂の海岸、そしてコンドイビーチ
なんと綺麗な海岸・・・・・なのに、観光ワゴン車は降りることが出来ない。
眺めるだけ・・・・。それにしても、綺麗だった。ビーチに降りたかった・・・次はこのビーチで過ごすぞ!!!と、島に着いて30分で次のことを考えていた。
水牛車で町を回る。昔ながらの琉球瓦の街並み。
案内してくれたおじさんは三線を弾いて八重山民謡を唄う。
昨日までの忙しさやいろいろあったことがす~~~とおさまった
鈴木君枝さんはと言うとすっかりはまって、次、いつ来ようか・・・・状態に。
特に星砂浜では、星砂探しで集合に遅れそうになったくらいだ。
他のスタッフやディレクターも昨日までとは違いすっかり八重山の魅力にハマってしまった。
そのスタッフたちもその後もそれぞれで島に行っているようだった。
ディレクターとはプライベートでも一緒に来たりした。
ダイビングにすっかりハマったようだった。
その後も、僕はと言うと仕事で毎年きた。
仕事を終わらせて、その後、ちゃっかり、休みをとって竹富島に行ったり
その年に来た取材の方たちを石垣島を案内したり竹富島を案内したりで
新聞社やTVや雑誌社もすっかりハマらせることが出来た。
お陰様で記事も素晴らしく、反響も良かった。
もちろん、来た取材の人たちも八重山好きになっていった。
その後、プライベートで行ってみると、ご一緒した記者やライターと偶然港で会ったりもした。
僕も仕事とは別に休みをとって石垣島や竹富島に泊まったりを続けていった。
特に、竹富島のレンタサイクル丸八の新ちゃんとは最初の頃からの付き合いで、竹富島に泊まって竹富島の夜の星空の凄さや竹富の面白い人などを教えてくれた。
そして、毎年通って20年近くたった。
素晴らしさは変わらないままである。
八重山に通って、思っていることがある。
一番行くのに良い時期。
安くて空いてて気候もいいナンバー1は、6月20日過ぎ。
不思議だけど、どんなに異常気象でも、18日頃から天気が良くなり、20日に梅雨明けする。
毎年そうだ。このタイミングは空いてて、まだ、夏休みでもなく安い。天気は梅雨明けの晴れなので過ごしやすい。
あとは、9月末。基本的には台風は7月8月に多い。秋の台風は八重山には行かず、本土に向かっていく。それなので、那覇空港や石垣空港ではなく羽田だが台風直撃で困ることはあるけど。基本的には涼しい秋の風が吹き始め過ごしやすい。
また、祭りも始まる時期でもあるので、十五夜祭など楽しめるかも
さて、着いてからは、どうするのか?
それは、朝起きてから決める。天気がどうなのか?それから考える。
あと大事なのは、汐の潮位表。何時に干潮で何時が満潮なのか?
それが、意外と大事。海に行っても浅すぎて泳げなかったり、でも、綺麗な砂浜が遥か彼方まで現れる干潮。
僕は、干潮が昼間にあるタイミングが好きだ。歩いて珊瑚に行けて熱帯魚をいっぱい胡坐かきながら見ることが出来る。なんか贅沢だなと思う。
夜、満月は困る。明るすぎて星空が見えにくい。
そんな風に自然と会話をして、楽しみを百倍にするのだ。
そして、好きなのが、車を借りて石垣島一周。
海沿いのドライブ。何度見ても、どんな天気でも綺麗な川平湾。
北の灯台。
とにもかくにも、ビューポイントだらけ。
最近は、島の人に聞いた「秘密のビーチ」
そこは、小さな入り江。そこから海を眺めると海岸から沖まで小さな珊瑚がいっぱい。
潮が引くとまるで、置き石があるような風景になるが、その石が全部珊瑚。
散歩しながら、珊瑚のわきを通りながら、熱帯魚を眺めて沖まで行ける。
沖まで行くとリーフになっていて急激に深くなっている。
そこは、大きな魚がうようよいる。まるで自然の水族館。
四つん這いになりながらそこを眺める。
ああああ、行きたいな・・・・・。と、6月20日が近付くと毎年思う。
それにしても、ここまで八重山にハマってしまうとは・・・鈴木君枝さんのあのタクシーでの一言。
そして、それに答えてくれたタクシーの運転手さんの一言
それがなかったら、
僕の人生は、まったく違うものになっていただろう。
お二人には大感謝です。
そして、それに答えてくれたタクシーの運転手さんの一言
それがなかったら、
僕の人生は、まったく違うものになっていただろう。
お二人には大感謝です。
2011年6月6日月曜日
放射能のせいらしいよ・・・と
家は、横浜市の青葉区である。
横浜市でもけっこう場所によって放射能の数値が違う。
そぐそばの麻生区は線量が高い。
ふるさと村の野菜は大丈夫だろうか?
時折、あのいい加減な基準値を下回ってはいるが、不検出でない野菜もある。
とは、いっても、もうどうしようもない。
手遅れである。今頃、外部被爆だけじゃない内部被爆もある。それを計測すべきだ。と
国会で言い始めていた・
まあ、すべて手遅れだからしょうがない。
福島ばかりではない。
だれも、騒がない、ただちに健康に影響はないから問題ないと信じているのか?。
茨城だって、千葉だって、東京の東は高線量が測定されているけど、
神奈川、静岡だってアウトだ。
我々みんな被爆者なのである。
核爆弾持たないこの国の国民なのに、誰にも攻撃されたわけでもないのに
被爆者になった。
もう、しょうがない。
3月の放射能バラ撒き後、雨が降るたびに、庭の小池のメダカが死んだ。
放射能のせいかどうかはわからないけど全部死んだ。
なぜか、雨の当たらない水槽や池のメダカは大丈夫なのに雨直撃の小池のメダカは全滅した。
そこで、改めて5匹買ってきたけど、次の雨の後、また全滅した。
あれから、2か月、水を入れ替えて再び買ってきた、今のところは雨が降っても大丈夫。
今日、変なタンポポを発見!茎が以上に長い。それに、かなり大きい。巨大化したタンポポだ!
「どうしたんだろうか!」と、いうと
たまたま、そこにいた妹が
「あ、放射能のせいらしいよ」とあっさり
もう、手遅れということは、みんな思っているようだ。
今の子供たちの将来は、運を天に任せるしかないと思っている
なぜなら、だから、どうしたらいいの?、どうしようもないじゃん。って思ってるってことかな。
実は、このタンポポの手前に長ネギが植わっていた。それが、大きくなっていて、そうめんの薬味として、土曜日に食べちゃった。内部被爆しちゃった。大人はいいけど子供も食べちゃったよ。ま、薬味程度だからいいか。
横浜市でもけっこう場所によって放射能の数値が違う。
そぐそばの麻生区は線量が高い。
ふるさと村の野菜は大丈夫だろうか?
時折、あのいい加減な基準値を下回ってはいるが、不検出でない野菜もある。
とは、いっても、もうどうしようもない。
手遅れである。今頃、外部被爆だけじゃない内部被爆もある。それを計測すべきだ。と
国会で言い始めていた・
まあ、すべて手遅れだからしょうがない。
福島ばかりではない。
だれも、騒がない、ただちに健康に影響はないから問題ないと信じているのか?。
茨城だって、千葉だって、東京の東は高線量が測定されているけど、
神奈川、静岡だってアウトだ。
我々みんな被爆者なのである。
核爆弾持たないこの国の国民なのに、誰にも攻撃されたわけでもないのに
被爆者になった。
もう、しょうがない。
3月の放射能バラ撒き後、雨が降るたびに、庭の小池のメダカが死んだ。
放射能のせいかどうかはわからないけど全部死んだ。
なぜか、雨の当たらない水槽や池のメダカは大丈夫なのに雨直撃の小池のメダカは全滅した。
そこで、改めて5匹買ってきたけど、次の雨の後、また全滅した。
あれから、2か月、水を入れ替えて再び買ってきた、今のところは雨が降っても大丈夫。
「どうしたんだろうか!」と、いうと
たまたま、そこにいた妹が
「あ、放射能のせいらしいよ」とあっさり
もう、手遅れということは、みんな思っているようだ。
今の子供たちの将来は、運を天に任せるしかないと思っている
なぜなら、だから、どうしたらいいの?、どうしようもないじゃん。って思ってるってことかな。
そうだね。この先、どうしようもないから、いいか、適当で・・・・・・・今日が良ければいいや。
実は、このタンポポの手前に長ネギが植わっていた。それが、大きくなっていて、そうめんの薬味として、土曜日に食べちゃった。内部被爆しちゃった。大人はいいけど子供も食べちゃったよ。ま、薬味程度だからいいか。
2011年6月4日土曜日
お前も東電か!? 怒りブログなんで長いです
世の中の会社はすべて東電化しちゃったのか?
まあ、NTTなど電話系の会社やNECなどの老舗会社は、いろいろな意味で東電と同類みたいなものだ。電話の応対やインフォメーションデスクなどの対応は酷いものがある。
「少々お待ち下さい。」・・・・・・・・・・・と、延々と待たされる。一言言うと「確認してまいりますので少々お待ち下さい」・・・・・・・・。再び、延々と。うっかりすると午前中や午後全てをそのせいで費やすこともしばしば・・・。もう、頭にきてると言うのに、最近はいろいろな対応を有料にしたりしてりする。『それが嫌なら、新しいのを買いな!』てな感じである。
そういうわけで、プロバイダーは,so-netにした。もうかれこれ10年以上前になるか、NECの待たせまくりサポートデスクと違って、so-netはすぐに対応してくれた。それだけ、トラブルも少ないんだろうと安心感もあった。
当時としては、何かあるといちいち電話やハガキ、封書でいろいろなものを送ってきて記入して送り返す面倒な作業もなく、すべてネットで処理したりメールで対応してくれ非常に楽だった。
それが、ついにso-netまでもが・・・東電化してしまったのである。東電以下かもしれない。
ちょっとしたカードトラブルになり、何日間かカード機能をしない日があった。
何処かに支障があるか?そのタイミングに引っかかったものは?しかし、特に何もなかったし、復活していたのでそんなことはすっかり忘れていた。そんなにカードも使わなかったし・・・。(禁酒になって飲みに行かなくなったせいか・・・)
そんな時に、so-netからメールが来た。『カード変更のお願い』。
しかし、変更する必要もないので、軽く同じ番号を入れて送った。
そんなある日駅前のauショップに行く用事があった。そこで、お店の人に「光ケーブル」を勧められた。プロバイダーとかも変えなくちゃいけないんだろうと思って、「so-netで、何も変えなくてもいいなら・・・・」
「au so-netプランがありますよ!」という
「え、そうなの?」
「多少安くなります。」
auとかKDDIとか実は嫌いだった。電話で何度も何度も勧誘してくる。中には、はしゃいで電話してきたりオレオレ詐欺状態なやつもいる。そんなやつらに「光」を勧められてもOKなどしない。
しかし、あのso-netとのコラボならと話を聞いてみることにした。
「面倒なの嫌いだからさ、auからso-netとの交渉はやってくれるの?」
「はい!もちろんです。しかも、今キャンペーン期間中で、25000円キャッシュバックします」と、
「え?25000円?どうやってくれるの?今くれるの?すぐ入会する!!!!」と
ほいほい手続きをした。他の事はさることながら、auは為替で送られるといい。so-netはあらためて入金方法のメールが来るということだった。
一応、工事日も決まった。
早く工事が終わって25000円!!!ちとわくわくしていた。
so-netから工事日の確認のメールも来た。
しかし、その工事日の一週間前、突然ネット接続できなくなった。
午前中は出来ていたのに昼過ぎに突然繋がらなくなった。
おや?とテクニカルサポートデスクに電話をしてみた。そこから聞こえてきた言葉は
「契約が切れています。」
「え?なんで?」
と、今度はインフォメーションデスクに回された。
「なんで契約が切れてるの?」
「カードが使えず、カード変更届けが出てませんので契約を切らせて頂きました。」
「聞いてないよ!!」
「書類も送りましたが・・・」
と、てっきりauひかりに変更した書類だと思っていた封筒をあけてみた。
それは、カードの変更届けもあったが、ほとんどは宣伝チラシだ。
確かに変更の期限が書いてある。そこにはwebで手続きをされた方と行き違いになった場合はご了承下さいとある。確かに期限までに変更届けがない場合は、契約を解除すると書いてあるが、その日付はない。さらにはその用紙にはお問い合わせ先もなければ、だれが出してきてるのかも書いてない。こんな大事な内容なのにあまりにもお粗末な用紙だ。
とはいえwebで送っていたから、この用紙をみても無視していただろう。
しかも、その期限という日には,ソネットエンタテイメントから「光」の契約のお礼メールと工事日の確認メールが来ていた。契約問題があったなんて夢にも思わなかった。
そこで、インフォメーションデスクのKaという男と話をした。最初に話した女性とはまったくお話にならない。「いくらメールしてる」といっても、
「確認がとれていませんので復活させられません。」
何を言っても
「ソネットとしては、復活させることはできません。」
『宣伝メールは送ってくるくせに、契約されてません」というメールがあってもいいのでは?』といっても、
「契約が出来たお客様のみ契約完了のメールをお送りしております」という。
「むしろ、逆だろう、契約で来た人はほっておいても問題ないわけだから、突如契約解除されメール止められてしまうことの方が困るので、契約の確認メールだすのが筋だし、その方がいいのでは?」
「当社では、そのようなことはしておりません。封書でもお伝えしております」
あの東電のマツモトやムトゥの顔がちらついてきた。
「個人情報につきお話はできません。」「当社としては、そういう決まりになっております。」
so-netインフォメーションデスクのKaもほぼ同じ状態。
しかし、こちらにとって大事なのは、工事だ。東電ソネットから確認メールがきている
「工事確認メールがきてるけど大丈夫?どうすればいいの?」
「キャンセルになります。」
「キャンセルしたくないけどどうすればいいの?」
「キャンセルです」
「方法を聞いてるんだけど」
「ありません。キャンセルです」
「わかったけど、俺はお前らと契約したんじゃね~~ぞ!auの窓口でauと契約したから、そっちと話す」
「どちらと話されてもキャンセルです」
本当に頭に来たけど、この馬鹿を相手にはできない。
思いっきり時間も無駄にしてしまった
翌日、メールなど止まったままは業務に思いっきり差し支える。
そこで、新規入会デスクに電話をした
「実は、わけもわからず契約切られちゃって、困ってる。光ケーブル工事日が迫ってるんだけどなんか方法ないの?」と、きいたら
「インターネットみられるならそこから入会して頂ければ間に合います。」ということで、言われるままに再入会をした。そうしたら、無事にメール開通。
そこで、慌てて「アドレス変更のお知らせ」を一斉に何百人にも送った。
しかし、不安もあって契約をしたauに確認してみた
「実は、いろいろあってアドレス変えたんだけど、問題あるかな?」
「確認します・・・・・・・・・・・。特にso-netから何も言ってきてないので大丈夫です」
そして、いよいよ来た!
予定通り工事。
壁に穴をあけ、コードの為にドアを削って思いの他の大工事。
でも、物凄い早さで終了!!
そして、いよいよ僕もついに「光生活」
ところが、繋がらないではないか!
接続が出来ない。光生活のはずが・・・・・・
再びテクニカルサポートデスクへ、すると、光コースになっていないという
そして、再びインフォメーションデスクへ今度はUという男が対応
「新しいアドレスのコースがADSLになっていて光にはなっていないので無理です。」
「は?」
「auで決めたプランでやってるんだけど」
「コース変更がされていないので無理です。最初のアドレスはキャンセルになってますのでKDDIの回線は使えません。」
「は?じゃあ、なんで工事に来たんだ?」
「だから、キャンセルといいましたよね」
「聞いたよ。だから?でも、来たよ。壁に穴をあけて、ドア削っていたぞ」
「お客様にキャンセルとお伝えしました。」
「だから、聞いたけど、予定通り工事に来たじゃん。何度も言って悪いんだけど、今回の契約はauとしたんでauに確認して問題なしといわれたんだけど・・・」
「キャンセルとお話しました・」
「話すのはいいんだけど、あの~~~~あなたバカですか?そもそも、契約が切れたこと。工事がキャンセルになることをKDDIとauに報告したの?」
「私どもはそのようなことは致しません!」
「え?じゃあ、キャンセルというのは、誰に言ったの?」
「お客様にお伝えしました。」
「はいはい・・・何度も聞きました。キャンセルのはずなのに工事に来たんですけど・・・・。しかも、so-netから確認メール来てたんですけど。どういう流れで工事に来たの?」
「so-netからKDDIに依頼してKDDIが業者に連絡します。」
「え?・・・・・・(この辺から、このUという男は危ない奴なのではないか・・・・と、思いはじめた)。あのさ、いいかなキャンセルとうのは工事中止ということで、その指示をKDDIに言わないといけないのでは?」
「KDDIの回線が使えないのでキャンセルです。」
だんだん東電の社長や武藤などの顔がアップで頭の中にチラついてきたので、
「おめぇ~~~は、バカか、なんにもできねぇ~~くせに客対応なんてしてるんじゃね!時間もアドレス変更に費やしてしまった労力をどう考えてるんだバカヤロー!!!」と、東電には言えないので、東電以下のso-netのUという馬鹿にこれまでの東電に対する恨みなどの気持ちも込めて思いっきり怒鳴ってしまった。
Uは言葉の節々に責任はKDDIにあるような事を言う。そこで、すぐにKDDIに電話をした
「え~~~!そんなこと全然聞いてませんよ。so-netから何も聞いてません。そんな大事なことがあれば、必ず連絡がありますよ。」
「そりゃそうですよね。」
「ご迷惑をお掛けしてすいません。こちらは万全になっておりますのでso-net次第かと思いますがすぐに確認致します」
途中で怒鳴って切ったのでso-netから電話がかかってきた
「すでに契約が切れていますので、無理ですし、キャンセルのことはお伝えしましたと説明させて頂いております。」
「わかったよ!もう、いいよ!いいか!①工事で壁に穴をあけ、ドアを削ったけど、光ができないなら早急に元に戻せ。壁の穴もふさぎドアも弁償。さらに、キャンセルなので取りに来るといったゲートウェイ(ラインをつないだりする機械)。全く連絡ないし取りに来ないし、明日15:00に邪魔なんでゲートウェイを捨てる。②光を繋げるかのどちらかの答えをくれ。」
「ゲートウェイはレンタル製品なので、・・・・・」
「おいおい!送り返す方法を連絡すると言ったじゃん!それなのに連絡が来なかったのが、予定通りの証拠でしょう?いいじゃん捨てるから、」
「何度もご説明したように前のアドレスは契約が切れていて新しいもののコースはADSLになっていますから光は無理です。キャンセルですから」
「じゃあ、捨てるから、あと元に戻す工事に関して、KDDIとauと相談して日程出して!」
「こちらから、KDDIに連絡はできません!!!!!!!」と、大声出した。
「じゃあ、こっちからKDDIに聞いてみるよ。そもそも、契約はauとしたんで、そっちであなたの処分も含めて聞いてみる」
「そう、いわれましてもso-netの会社の回答です」
「そうなのか、じゃあ、今から大崎(本社)に行くから、そこで話そう。図に書いて説明してやるよ。」
「私は沖縄にいるので無理です」
「別にあなたと話す必要はない。吉田社長と話してもいいですけど、けっこう大問題だと思いますよ。KDDIさんも状況を確認したいと言ってるし・・・」
「大崎に行かれても本社に行かれてもso-netの会社の回答は変わりません」
「じゃあ、とにもかくにも本社にきくよ」
で、本社の人と話した。あとのUの電話で「総務と話されても答えは変わらない」といっていたから、総務の人だったんだろう。
その人は、内容を理解して対応とどうするかを検討して連絡をさせるという
でも、「中途半端に電話しなくていい。ちゃんとKDDIと話して、auとも話した上での結果を知りたいだけです。燃えないゴミの日は一週間に一回ですし」
その日の夕方、Uから電話があった。
「現在、光ができるようにしています。」
「だから、いつから、出来るようになるの?」
「KDDIに確認しております。」
「だから、確認してから連絡しろといったんだけど」
「それでは・・・・」
意味ないから途中で切った。
実は、アドレス変更直後、これはso-netのせいではないかもしれないが、突如としてインターネットの表示が英語になってしまった。
そこで、インフォメーションデスクの女に何とかしてくれといった。
「わかりました。」といって、「あれもこれも」というところに電話を回してくれた。
「あ、聞いています。このあれもこれもは有償になっております。月々520円で・・・・・・・・」と延々としゃべりだした。
「おいおい!金とるなんて聞いてねぇ~~ぞ!だったら、さきに転送する前に言えよ!」
「お客様のこの月々のお支払いの確認が取れませんとお答えできません」
「じゃあ、金のかからないところに回してよ」
「まずは、この症状は、インストール時の問題と思われますが、スタートから」
準備をして待ったが、
「ここからは有償の契約のご確認がとれませんと」
「え?やくざか!?まるでお姉ちゃん連れてきて服脱がして、さあ、いよいよ!というところで金出さねぇ~~とここまでだよ。といってるのと同じじゃん!」
「いえ!今回は、有償ですが最初の一か月無料にて行っております。」
「は?何いってんの?今頃?」
電話を切った。
工事の前には、このようなやりとりもあっただけに余計に光が繋がらない問題は怒りの限度を超えてしまった。
いつから、so-netはこんなに酷い会社になってしまったんだろうか・・・・。
初期の頃は本当に良かった。それだけに余計腹が立つ。
もしかすると、震災前からの不況で、政治にはイライラするし国民全体がおかしくなってしまっているんだろうか、そこへ震災が来て、もう、政治同様に成り行き任せで保身だけ、自分で物事を考えて処理しようなんて思わなくなっているのか。
お客に対してはもちろんのこと、それ以外の人間関係でもお互いにニコニコ気持ちよく過ごせるような動きが出来ないんだろうか?
ニコニコ笑顔で過ごせる方法をみんなで考えていきましょうよ!
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
そして、今日の夜、Uから電話があった。
「光が使えるようになりました。ただ、元々のアドレスでお願い致します。」
「え?変更したアドレスじゃなくて?」
「すいません。ご不便をお掛けしますが・・・」
「なんでだよ!会社として契約が切れたものは元に戻せないと何度も言ってなかったか?」
「すいません。ご不便をおかけしますが・・・・」
「だったら、最初に契約問題の時になんとか処理致します。で済んだんじゃないの?なんだったんだよ。この一週間」
「すいません。ご不便をお掛けしますが、光を早急に繋ぎましたので・・・」
しょうがないので、すべてもう一度前のアドレスに戻して、やり直し
「ん?繋がらない」
テクニカルサポートセンターに問い合わせ
「繋がっていますが、KDDIからauにいくのに時間がかかるので明日からになります。」
「え?大丈夫って言ってたよ!!!ふざけんなよ!もう、いい加減にしろよ!!!」
お客は「光」を子供のように楽しみに待っている。
それなんで、いつなのかいつなのかと待っている。
別に明日からだよというならそれでいい。
何度もいったけど、KDDI,auに確認すれば明日とわかったはず
今回も、まったく確認せずに無責任に客の立場に立たずに電話をしてきたということだ
最初の男の担当KにU、女UにF でてくるインフォメーションデスク
もっと、初期の頃の人たちが教育していかないと、だめになっちゃう
そういえば、ソニーグループはハッカー対応、個人情報流出事件に関して東電に似てきたような。
そうそう、明日繋がらなかったら、ホームゲートウェイ捨てちゃうか、はたまたネットで売っちゃいますか・
まあ、NTTなど電話系の会社やNECなどの老舗会社は、いろいろな意味で東電と同類みたいなものだ。電話の応対やインフォメーションデスクなどの対応は酷いものがある。
「少々お待ち下さい。」・・・・・・・・・・・と、延々と待たされる。一言言うと「確認してまいりますので少々お待ち下さい」・・・・・・・・。再び、延々と。うっかりすると午前中や午後全てをそのせいで費やすこともしばしば・・・。もう、頭にきてると言うのに、最近はいろいろな対応を有料にしたりしてりする。『それが嫌なら、新しいのを買いな!』てな感じである。
そういうわけで、プロバイダーは,so-netにした。もうかれこれ10年以上前になるか、NECの待たせまくりサポートデスクと違って、so-netはすぐに対応してくれた。それだけ、トラブルも少ないんだろうと安心感もあった。
当時としては、何かあるといちいち電話やハガキ、封書でいろいろなものを送ってきて記入して送り返す面倒な作業もなく、すべてネットで処理したりメールで対応してくれ非常に楽だった。
それが、ついにso-netまでもが・・・東電化してしまったのである。東電以下かもしれない。
ちょっとしたカードトラブルになり、何日間かカード機能をしない日があった。
何処かに支障があるか?そのタイミングに引っかかったものは?しかし、特に何もなかったし、復活していたのでそんなことはすっかり忘れていた。そんなにカードも使わなかったし・・・。(禁酒になって飲みに行かなくなったせいか・・・)
そんな時に、so-netからメールが来た。『カード変更のお願い』。
しかし、変更する必要もないので、軽く同じ番号を入れて送った。
そんなある日駅前のauショップに行く用事があった。そこで、お店の人に「光ケーブル」を勧められた。プロバイダーとかも変えなくちゃいけないんだろうと思って、「so-netで、何も変えなくてもいいなら・・・・」
「au so-netプランがありますよ!」という
「え、そうなの?」
「多少安くなります。」
auとかKDDIとか実は嫌いだった。電話で何度も何度も勧誘してくる。中には、はしゃいで電話してきたりオレオレ詐欺状態なやつもいる。そんなやつらに「光」を勧められてもOKなどしない。
しかし、あのso-netとのコラボならと話を聞いてみることにした。
「面倒なの嫌いだからさ、auからso-netとの交渉はやってくれるの?」
「はい!もちろんです。しかも、今キャンペーン期間中で、25000円キャッシュバックします」と、
「え?25000円?どうやってくれるの?今くれるの?すぐ入会する!!!!」と
ほいほい手続きをした。他の事はさることながら、auは為替で送られるといい。so-netはあらためて入金方法のメールが来るということだった。
一応、工事日も決まった。
早く工事が終わって25000円!!!ちとわくわくしていた。
so-netから工事日の確認のメールも来た。
しかし、その工事日の一週間前、突然ネット接続できなくなった。
午前中は出来ていたのに昼過ぎに突然繋がらなくなった。
おや?とテクニカルサポートデスクに電話をしてみた。そこから聞こえてきた言葉は
「契約が切れています。」
「え?なんで?」
と、今度はインフォメーションデスクに回された。
「なんで契約が切れてるの?」
「カードが使えず、カード変更届けが出てませんので契約を切らせて頂きました。」
「聞いてないよ!!」
「書類も送りましたが・・・」
と、てっきりauひかりに変更した書類だと思っていた封筒をあけてみた。
それは、カードの変更届けもあったが、ほとんどは宣伝チラシだ。
確かに変更の期限が書いてある。そこにはwebで手続きをされた方と行き違いになった場合はご了承下さいとある。確かに期限までに変更届けがない場合は、契約を解除すると書いてあるが、その日付はない。さらにはその用紙にはお問い合わせ先もなければ、だれが出してきてるのかも書いてない。こんな大事な内容なのにあまりにもお粗末な用紙だ。
とはいえwebで送っていたから、この用紙をみても無視していただろう。
しかも、その期限という日には,ソネットエンタテイメントから「光」の契約のお礼メールと工事日の確認メールが来ていた。契約問題があったなんて夢にも思わなかった。
そこで、インフォメーションデスクのKaという男と話をした。最初に話した女性とはまったくお話にならない。「いくらメールしてる」といっても、
「確認がとれていませんので復活させられません。」
何を言っても
「ソネットとしては、復活させることはできません。」
『宣伝メールは送ってくるくせに、契約されてません」というメールがあってもいいのでは?』といっても、
「契約が出来たお客様のみ契約完了のメールをお送りしております」という。
「むしろ、逆だろう、契約で来た人はほっておいても問題ないわけだから、突如契約解除されメール止められてしまうことの方が困るので、契約の確認メールだすのが筋だし、その方がいいのでは?」
「当社では、そのようなことはしておりません。封書でもお伝えしております」
あの東電のマツモトやムトゥの顔がちらついてきた。
「個人情報につきお話はできません。」「当社としては、そういう決まりになっております。」
so-netインフォメーションデスクのKaもほぼ同じ状態。
しかし、こちらにとって大事なのは、工事だ。東電ソネットから確認メールがきている
「工事確認メールがきてるけど大丈夫?どうすればいいの?」
「キャンセルになります。」
「キャンセルしたくないけどどうすればいいの?」
「キャンセルです」
「方法を聞いてるんだけど」
「ありません。キャンセルです」
「わかったけど、俺はお前らと契約したんじゃね~~ぞ!auの窓口でauと契約したから、そっちと話す」
「どちらと話されてもキャンセルです」
本当に頭に来たけど、この馬鹿を相手にはできない。
思いっきり時間も無駄にしてしまった
翌日、メールなど止まったままは業務に思いっきり差し支える。
そこで、新規入会デスクに電話をした
「実は、わけもわからず契約切られちゃって、困ってる。光ケーブル工事日が迫ってるんだけどなんか方法ないの?」と、きいたら
「インターネットみられるならそこから入会して頂ければ間に合います。」ということで、言われるままに再入会をした。そうしたら、無事にメール開通。
そこで、慌てて「アドレス変更のお知らせ」を一斉に何百人にも送った。
しかし、不安もあって契約をしたauに確認してみた
「実は、いろいろあってアドレス変えたんだけど、問題あるかな?」
「確認します・・・・・・・・・・・。特にso-netから何も言ってきてないので大丈夫です」
そして、いよいよ来た!
予定通り工事。
壁に穴をあけ、コードの為にドアを削って思いの他の大工事。
でも、物凄い早さで終了!!
そして、いよいよ僕もついに「光生活」
ところが、繋がらないではないか!
接続が出来ない。光生活のはずが・・・・・・
再びテクニカルサポートデスクへ、すると、光コースになっていないという
そして、再びインフォメーションデスクへ今度はUという男が対応
「新しいアドレスのコースがADSLになっていて光にはなっていないので無理です。」
「は?」
「auで決めたプランでやってるんだけど」
「コース変更がされていないので無理です。最初のアドレスはキャンセルになってますのでKDDIの回線は使えません。」
「は?じゃあ、なんで工事に来たんだ?」
「だから、キャンセルといいましたよね」
「聞いたよ。だから?でも、来たよ。壁に穴をあけて、ドア削っていたぞ」
「お客様にキャンセルとお伝えしました。」
「だから、聞いたけど、予定通り工事に来たじゃん。何度も言って悪いんだけど、今回の契約はauとしたんでauに確認して問題なしといわれたんだけど・・・」
「キャンセルとお話しました・」
「話すのはいいんだけど、あの~~~~あなたバカですか?そもそも、契約が切れたこと。工事がキャンセルになることをKDDIとauに報告したの?」
「私どもはそのようなことは致しません!」
「え?じゃあ、キャンセルというのは、誰に言ったの?」
「お客様にお伝えしました。」
「はいはい・・・何度も聞きました。キャンセルのはずなのに工事に来たんですけど・・・・。しかも、so-netから確認メール来てたんですけど。どういう流れで工事に来たの?」
「so-netからKDDIに依頼してKDDIが業者に連絡します。」
「え?・・・・・・(この辺から、このUという男は危ない奴なのではないか・・・・と、思いはじめた)。あのさ、いいかなキャンセルとうのは工事中止ということで、その指示をKDDIに言わないといけないのでは?」
「KDDIの回線が使えないのでキャンセルです。」
だんだん東電の社長や武藤などの顔がアップで頭の中にチラついてきたので、
「おめぇ~~~は、バカか、なんにもできねぇ~~くせに客対応なんてしてるんじゃね!時間もアドレス変更に費やしてしまった労力をどう考えてるんだバカヤロー!!!」と、東電には言えないので、東電以下のso-netのUという馬鹿にこれまでの東電に対する恨みなどの気持ちも込めて思いっきり怒鳴ってしまった。
Uは言葉の節々に責任はKDDIにあるような事を言う。そこで、すぐにKDDIに電話をした
「え~~~!そんなこと全然聞いてませんよ。so-netから何も聞いてません。そんな大事なことがあれば、必ず連絡がありますよ。」
「そりゃそうですよね。」
「ご迷惑をお掛けしてすいません。こちらは万全になっておりますのでso-net次第かと思いますがすぐに確認致します」
途中で怒鳴って切ったのでso-netから電話がかかってきた
「すでに契約が切れていますので、無理ですし、キャンセルのことはお伝えしましたと説明させて頂いております。」
「わかったよ!もう、いいよ!いいか!①工事で壁に穴をあけ、ドアを削ったけど、光ができないなら早急に元に戻せ。壁の穴もふさぎドアも弁償。さらに、キャンセルなので取りに来るといったゲートウェイ(ラインをつないだりする機械)。全く連絡ないし取りに来ないし、明日15:00に邪魔なんでゲートウェイを捨てる。②光を繋げるかのどちらかの答えをくれ。」
「ゲートウェイはレンタル製品なので、・・・・・」
「おいおい!送り返す方法を連絡すると言ったじゃん!それなのに連絡が来なかったのが、予定通りの証拠でしょう?いいじゃん捨てるから、」
「何度もご説明したように前のアドレスは契約が切れていて新しいもののコースはADSLになっていますから光は無理です。キャンセルですから」
「じゃあ、捨てるから、あと元に戻す工事に関して、KDDIとauと相談して日程出して!」
「こちらから、KDDIに連絡はできません!!!!!!!」と、大声出した。
「じゃあ、こっちからKDDIに聞いてみるよ。そもそも、契約はauとしたんで、そっちであなたの処分も含めて聞いてみる」
「そう、いわれましてもso-netの会社の回答です」
「そうなのか、じゃあ、今から大崎(本社)に行くから、そこで話そう。図に書いて説明してやるよ。」
「私は沖縄にいるので無理です」
「別にあなたと話す必要はない。吉田社長と話してもいいですけど、けっこう大問題だと思いますよ。KDDIさんも状況を確認したいと言ってるし・・・」
「大崎に行かれても本社に行かれてもso-netの会社の回答は変わりません」
「じゃあ、とにもかくにも本社にきくよ」
で、本社の人と話した。あとのUの電話で「総務と話されても答えは変わらない」といっていたから、総務の人だったんだろう。
その人は、内容を理解して対応とどうするかを検討して連絡をさせるという
でも、「中途半端に電話しなくていい。ちゃんとKDDIと話して、auとも話した上での結果を知りたいだけです。燃えないゴミの日は一週間に一回ですし」
その日の夕方、Uから電話があった。
「現在、光ができるようにしています。」
「だから、いつから、出来るようになるの?」
「KDDIに確認しております。」
「だから、確認してから連絡しろといったんだけど」
「それでは・・・・」
意味ないから途中で切った。
実は、アドレス変更直後、これはso-netのせいではないかもしれないが、突如としてインターネットの表示が英語になってしまった。
そこで、インフォメーションデスクの女に何とかしてくれといった。
「わかりました。」といって、「あれもこれも」というところに電話を回してくれた。
「あ、聞いています。このあれもこれもは有償になっております。月々520円で・・・・・・・・」と延々としゃべりだした。
「おいおい!金とるなんて聞いてねぇ~~ぞ!だったら、さきに転送する前に言えよ!」
「お客様のこの月々のお支払いの確認が取れませんとお答えできません」
「じゃあ、金のかからないところに回してよ」
「まずは、この症状は、インストール時の問題と思われますが、スタートから」
準備をして待ったが、
「ここからは有償の契約のご確認がとれませんと」
「え?やくざか!?まるでお姉ちゃん連れてきて服脱がして、さあ、いよいよ!というところで金出さねぇ~~とここまでだよ。といってるのと同じじゃん!」
「いえ!今回は、有償ですが最初の一か月無料にて行っております。」
「は?何いってんの?今頃?」
電話を切った。
工事の前には、このようなやりとりもあっただけに余計に光が繋がらない問題は怒りの限度を超えてしまった。
いつから、so-netはこんなに酷い会社になってしまったんだろうか・・・・。
初期の頃は本当に良かった。それだけに余計腹が立つ。
もしかすると、震災前からの不況で、政治にはイライラするし国民全体がおかしくなってしまっているんだろうか、そこへ震災が来て、もう、政治同様に成り行き任せで保身だけ、自分で物事を考えて処理しようなんて思わなくなっているのか。
お客に対してはもちろんのこと、それ以外の人間関係でもお互いにニコニコ気持ちよく過ごせるような動きが出来ないんだろうか?
ニコニコ笑顔で過ごせる方法をみんなで考えていきましょうよ!
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
そして、今日の夜、Uから電話があった。
「光が使えるようになりました。ただ、元々のアドレスでお願い致します。」
「え?変更したアドレスじゃなくて?」
「すいません。ご不便をお掛けしますが・・・」
「なんでだよ!会社として契約が切れたものは元に戻せないと何度も言ってなかったか?」
「すいません。ご不便をおかけしますが・・・・」
「だったら、最初に契約問題の時になんとか処理致します。で済んだんじゃないの?なんだったんだよ。この一週間」
「すいません。ご不便をお掛けしますが、光を早急に繋ぎましたので・・・」
しょうがないので、すべてもう一度前のアドレスに戻して、やり直し
「ん?繋がらない」
テクニカルサポートセンターに問い合わせ
「繋がっていますが、KDDIからauにいくのに時間がかかるので明日からになります。」
「え?大丈夫って言ってたよ!!!ふざけんなよ!もう、いい加減にしろよ!!!」
お客は「光」を子供のように楽しみに待っている。
それなんで、いつなのかいつなのかと待っている。
別に明日からだよというならそれでいい。
何度もいったけど、KDDI,auに確認すれば明日とわかったはず
今回も、まったく確認せずに無責任に客の立場に立たずに電話をしてきたということだ
最初の男の担当KにU、女UにF でてくるインフォメーションデスク
もっと、初期の頃の人たちが教育していかないと、だめになっちゃう
そういえば、ソニーグループはハッカー対応、個人情報流出事件に関して東電に似てきたような。
そうそう、明日繋がらなかったら、ホームゲートウェイ捨てちゃうか、はたまたネットで売っちゃいますか・
2011年6月1日水曜日
2007年風速68m直後の西表島・・・
風速30mなんてそよ風みたいのものだよ!と、竹富島の人が言っていたと聞いた。
西を通過か東を通過するかでも違うという。
それで、「今回は大丈夫さぁ~」と。心の準備はOK。とはいっても、物理的な準備は万端にする。
西を通過か東を通過するかでも違うという。
それで、「今回は大丈夫さぁ~」と。心の準備はOK。とはいっても、物理的な準備は万端にする。
これまで、20年近く八重山に通っている。
しかし、これまで台風にあたったことはなかった。その時までは・・・・・。
大体行く時は、四泊五日か五泊六日で行っている。万が一台風が来てもほとんどは一日の我慢で済むと思っていたからである。
2007年秋、この時も、最初は順調だった。
実は、八重山は夏に台風が来るが、9月中旬以降はあまりこない。秋の台風は沖縄に行かずに右に曲がって東京の方に行ってしまうのだだから、実は9月の連休は、過ごしやすくて
晴れが多くて気持ちが良いので狙い目なのである。
ただ、稀に秋に台風が来る時がある。その稀な台風は半端じゃなく大きく強いと言われている。
「フィリピンも大変だね」くらいにしか思っていなかったが、みるみるうちにこちらに向かってきた。
やばい!へたすると帰る日にぶつかるのでは?飛行機欠航?・・・・・・。
ホテルに戻り、慌てて便の変更手続き。この時は、友達と妹とその子供たちがいて人数が多いので必死だった。
まだ、来てないから、今は飛んでいるので・・・・。欠航になったら・・・手続きが出来るとか。
あきらめずに電話をしていたら、夜は欠航で明日も欠航となったとのことですぐ変更手続き。
なんと、次の日は、元々すべて満席なので取れないという。
しょうがないので、さらに次の日の午前便を予約。
そういうわけで、二泊延泊!なんだかわくわく!台風じゃしょうがない!!
そして、本来帰る日だった翌日。台風が直撃した。TVのニュースでは風速65mだという。
窓からを外をみているとちょうど石垣島の730交差点が見えた。
もちろん人なんか歩いていない、時折車が通るだけ。
その交差点の信号がついに消えた、停電である。
ホテルは自家発電があり電気はついていた。
帰れなくなった人などは、宴会場に集まっていた。僕らもそこに行ってみたりしたが、問題は、この日の宿泊である。今いるホテルは満室。
そこで、すぐ近くのホテルミヤヒラに問い合わせてみたら、
「台風で帰れませんか?」「そうです」
「台風価格の部屋にしましょうね~~。」
え!そんなのがあるのか?半額近くの安さで泊まることができた。
台風はなんだかラッキーなのである。
午後になり、少し落ち着いたようだったので、ちょっと、外に出てみた。
飛ばされるところだった・・・・・。そして、何よりも雨が体に当たると痛いのだ。
沖縄の人が東京などに上陸する台風のニュースをみて傘がボロボロになって歩いている人をみると、なんで台風に外にいるのかわからないといっていたが、こんなに風が強くて雨が痛いとは、外に出ようにも出られない。この台風に比べれば、風速30mなんて確かにそよ風。
夕方、なんとか落ち着いたのでタクシーに乗ってホテルを移動。
無事にその日を過ごすことが出来た。
翌日は、晴れていた。しかし、予定外の一日なので何も考えていなかった。
どうやら、最大瞬間風速は68mだったという。それを西表島が記録したと当時過去最大の風速だといっていた。
西表で記録的な風?現在も停電中?本来野次馬の血が流れている僕と妹は気になってしょうがなかった。試しにレンタカーは借りられるか聞いてみた。大丈夫だという。
船はどうなのか?これまた大丈夫。一部、大きく揺れると言われたが・・・・・・。
ただ、島すべてが停電だといっていた。
海は凪だったが、西表につく寸前だけ確かにもの凄く大きな波があり、ぶったまげたが、それだけであとはほとんど揺れなかった。
そして、上陸!!!
あらら…すごい事になっていた。ワゴン車は倒れているし、屋根が飛んでいる家もあった。
しかし、レンタカー屋さんは何事もなく、手続きをして普通に笑顔で去って行った。
島の人たちは、いつもと変わらなく普通にしていた。普通に笑い、会話していた。
倒れた車や一か所に寄せ集まった車だらけなのに普通だった。
車を借りて海沿いを走っていくとなんと樹はなぎ倒されて電柱は折れていて道路は水びだしの所もあったりと、凄い事になっていた。
しかし、観光バスも普通に走っていた。よくみると、前のホテルで宴会場にいたアジアの方たちが乗っていた研修だったんだろうか?
もう、道路では、電柱の復旧作業をしていた。いつ倒れてもいいようにすでに新しい電柱が道路わきに置いてあったようだ。
さらに車を走らせ西表島の星砂の海岸へ。なんとそこのレストランも営業していた。
停電では?自家発電だった。
「アイスはだめだよ~~~溶けちゃってるからね」と明るく話す店のお母さん。
あまりにも普通の西表島なので、滝めぐりに行ってみたら、さすがにそこはお休みだった。
じゃあと由布島に行ってみた。
なんと年中無休の由布島は休みだった。
これは、貴重な体験!
そして、港に車を戻して船を待っていたら、冷たいものを飲みたくなった。
自動販売機にお金を入れたら、出てきてしまう。
やばい!へたすると帰る日にぶつかるのでは?飛行機欠航?・・・・・・。
ホテルに戻り、慌てて便の変更手続き。この時は、友達と妹とその子供たちがいて人数が多いので必死だった。
まだ、来てないから、今は飛んでいるので・・・・。欠航になったら・・・手続きが出来るとか。
あきらめずに電話をしていたら、夜は欠航で明日も欠航となったとのことですぐ変更手続き。
なんと、次の日は、元々すべて満席なので取れないという。
しょうがないので、さらに次の日の午前便を予約。
そういうわけで、二泊延泊!なんだかわくわく!台風じゃしょうがない!!
そして、本来帰る日だった翌日。台風が直撃した。TVのニュースでは風速65mだという。
窓からを外をみているとちょうど石垣島の730交差点が見えた。
もちろん人なんか歩いていない、時折車が通るだけ。
その交差点の信号がついに消えた、停電である。
ホテルは自家発電があり電気はついていた。
帰れなくなった人などは、宴会場に集まっていた。僕らもそこに行ってみたりしたが、問題は、この日の宿泊である。今いるホテルは満室。
そこで、すぐ近くのホテルミヤヒラに問い合わせてみたら、
「台風で帰れませんか?」「そうです」
「台風価格の部屋にしましょうね~~。」
え!そんなのがあるのか?半額近くの安さで泊まることができた。
台風はなんだかラッキーなのである。
午後になり、少し落ち着いたようだったので、ちょっと、外に出てみた。
飛ばされるところだった・・・・・。そして、何よりも雨が体に当たると痛いのだ。
沖縄の人が東京などに上陸する台風のニュースをみて傘がボロボロになって歩いている人をみると、なんで台風に外にいるのかわからないといっていたが、こんなに風が強くて雨が痛いとは、外に出ようにも出られない。この台風に比べれば、風速30mなんて確かにそよ風。
夕方、なんとか落ち着いたのでタクシーに乗ってホテルを移動。
無事にその日を過ごすことが出来た。
翌日は、晴れていた。しかし、予定外の一日なので何も考えていなかった。
どうやら、最大瞬間風速は68mだったという。それを西表島が記録したと当時過去最大の風速だといっていた。
西表で記録的な風?現在も停電中?本来野次馬の血が流れている僕と妹は気になってしょうがなかった。試しにレンタカーは借りられるか聞いてみた。大丈夫だという。
船はどうなのか?これまた大丈夫。一部、大きく揺れると言われたが・・・・・・。
ただ、島すべてが停電だといっていた。
海は凪だったが、西表につく寸前だけ確かにもの凄く大きな波があり、ぶったまげたが、それだけであとはほとんど揺れなかった。
そして、上陸!!!
あらら…すごい事になっていた。ワゴン車は倒れているし、屋根が飛んでいる家もあった。
しかし、レンタカー屋さんは何事もなく、手続きをして普通に笑顔で去って行った。
島の人たちは、いつもと変わらなく普通にしていた。普通に笑い、会話していた。
倒れた車や一か所に寄せ集まった車だらけなのに普通だった。
車を借りて海沿いを走っていくとなんと樹はなぎ倒されて電柱は折れていて道路は水びだしの所もあったりと、凄い事になっていた。
しかし、観光バスも普通に走っていた。よくみると、前のホテルで宴会場にいたアジアの方たちが乗っていた研修だったんだろうか?
もう、道路では、電柱の復旧作業をしていた。いつ倒れてもいいようにすでに新しい電柱が道路わきに置いてあったようだ。
さらに車を走らせ西表島の星砂の海岸へ。なんとそこのレストランも営業していた。
停電では?自家発電だった。
「アイスはだめだよ~~~溶けちゃってるからね」と明るく話す店のお母さん。
あまりにも普通の西表島なので、滝めぐりに行ってみたら、さすがにそこはお休みだった。
じゃあと由布島に行ってみた。
なんと年中無休の由布島は休みだった。
これは、貴重な体験!
自動販売機にお金を入れたら、出てきてしまう。
近くにいた島の人に言われた
「全島停電よ。使えないさ~~」
そうだった。昼間だったせいもあるけど、みんな普通にしてるからすっかり忘れてしまった。
5月に二つも台風がきた八重山。
今年は、台風が多そうだと皆が言っている。
大きいのが来ないといいけど・・・・と
もしかすると、去年ハチの被害から救った「でいごの花」が満開だった・・そのせい?
デイゴが咲いて台風が来る。
これって、デイゴが咲かないで台風が来ないというより普通の八重山の姿なのかもしれない。
ちょっと安心してしまう。
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