2011年7月1日金曜日

え?LA ドジャース倒産?

実は、1979年に4か月ほど学校の関係でLA留学をした。
4月から8月までLAのダウンタウンから、バスで30分程の所にあるアパートに住んでいた。
その後、あのLA暴動の時に知ったけど、その場所はコリアンタウンとなっている。
しかも、黒人と韓国人が、ぶつかり合った場所の傍だ。
映像が流れるたびに「あ、近くだ!あそこでソフトボールやった!」などと怖い映像をみながら懐かしさが甦って見るのが楽しかった。


その当時は、もちろん今とは違い日本人メジャーリーガーなどいなかった。
しかし、メジャーリーグが盛り上がっていた。
ピート・ローズだったり、ジョニー・ベンチ、ドン・サットンなど、きっと今の人はしらないけど
凄い強打者やピッチャーだった。ジョニー・ベンチというキャッチャーは座ったままよく一塁に
牽制球を投げた。他にも、いろいろと話題の選手がいたが、さすがに忘れてしまった。


当時は、ナショナルリーグが盛り上がっていて、人気のナショナルリーグ、実力のアメリカンリーグ的な感じもあり、僕自身も、ナショナルリーグのドジャースが好きになっていた。
乾いた空気の中で優しい陽ざしの中で行われるデーゲームに生えるユニフォームが大好きだった。その中でも、後にたぶん議員か何かになった知的な一塁手スティーブ・ガービー、それとは対照的なずんぐりむっくりでペンギンというあだ名があった三塁手ロン・セイ、後に巨人に助っ人として巨人に入団したレジー・スミスがお気に入りだった。


そんなわけで、とにもかくにもLAに行ったら、ドジャーズスタジアムに行ってメジャーリーグを観に行こうと決めていた。
LA暮らしが始まり、3週間くらいしてドジャーズスタジアムで試合があることを知り、友人と観に行くことにした。
しかし、どうやって行っていいのかわからない。言葉だって、イマイチ。
地図をみる限り、ダウンタウンに行き、北の方に向かうバスが、どうやらスタジアムに行くようだとわかった。そこで、とにもかくにもダウンタウンに向かった。
野球を観にいくのは、わかりやすかった。
バスに乗ると、ユニフォーム姿だったり、LAのマーク入り帽子をかぶった人たちがいっぱいいた。
そういうわけで、その人たちにくっついて行った。
ダウンタウンで降りて、乗りかえる。
バスが来るが、行き先表示に「Dodgers stadium」などと書いたものが来ない。
様子を観ていると、「Special」と書いたバスにベースボールファッションの人達は乗っていく。
僕らの様な、一般人でも乗れるのか?それとも、この人達は、日本でいう私設応援団なのではないか?その人たちのチャーター便?
と、いうことで、1,2本やり過ごしたが、次から次へと来る人が、その「Special」バスに乗っていく。
まあ、私設応援団でもいいやと思い。乗りこんだ。
ちなみに前のバスでトランスファー(乗換)を申し出たのでそのチケットで乗ろうとしたら
「No,can’t use. one doller」といわれた
なんだか、納得いかなかったが、1ドル払って乗った。
どうも、見ていると地元の人も、良くわかってない様で、「one doller」と言われる人もいっぱいいて納得いかない表情をする人もいた。
その姿を見ているだけで、なんだか「地元になじんじゃったなぁ~~~~」と、ものすごく嬉しかった。

そして、着いた。こんなに大きな駐車場をみたのは初めてだった。
次にチケットだ。降りたところから、チケット売り場までが、これまた遠い。


なんとか、チケットを買って いざ入場!!!


テレビでしかみたことのないあのメジャーリーグのスタジアム。
想像していた通りの空気、陽ざし、香り、すべてが夢のようだった。


せっかくなんでビール飲んで(なぜか老けてみられていたので、21歳になったばかりなのにIDカードみせろとは、最後まで言われなかった)応援!!もちろん本場のホットドッグも食べて。


あのメジャーリーガーが目の前にいる。
しかも、試合前にはあちこちでサイン会をしてる。
とりあえず、列に並んでみた。どんどん進んで行ったら、そこには、白髪のおじさん。
なんと、ラ・ソーダ監督だった。
最初に監督のサインは、良しとしよう!!!
試合が始まると
ロン・セイにスティーブ・ガービー、レジースミス・・・・・・・・。
開放感たっぷりの球場は、ファールボールもやたらと飛んでくる。
しかも、メジャーリーグは、日本とは違いファールボールを持ち帰ることが出来た。今は日本でも持ち帰られるけど・・・

が、試合はボロ負けだった。
その後もなんども行ったけど、勝率は悪かった。
しかし、応援方法は、テレビで見ていたので薄々は知っていた。
電子オルガンのタラララタラ~~~~!にあわせ「charge!」と叫ぶ。
ピッチャー交代時には、やはり、電子オルガンがタ・タ・タ・タ・タ・タンと小刻みなリズムが流れ、それに合わせて手拍子!
もちろん、チャンスに打てないとブ~~~~~

その日の帰りには、すっかり、僕らは変わっていた
名物ピーナッツおじさん
もちろん、LAキャップやTシャツと、私設応援団風になっていた。
まあ、そもそも、メジャーリーグには日本の様な私設応援団なんていない。
ほとんどの観客がドジャース応援団なのだ。

気持ちは、一つなのだ。


そういうわけで、ますますドジャーズファンになって帰路に着いたが、
オールスター投票用紙’79
バスはどこで乗るのか?どうやって帰ればいいのか?
スタンドの上から見渡すと、駐車場の遥か彼方にバスがいるのが見えた。
大行列がありそこに並んだが、思いのほか早くバスに乗れることが出来た
ドジャーズが負けたせいかわりと静かな車内だった。

一度行ってしまえば、もう、ベテラン。
次からは、ダウンタウンで前売り券を売っていることもわかり、座席もいい席を取ることもできた。
レジー・スミスはホームランを打ちドン・サットンも好投し、相手チームでジョニー・ベンチもみてピート・ローズも見た。
当然、アパートを出る時から、上から下までドジャースファッションに手にはグローブ。
しまいには、乗換場所で、地元の人から、スペシャルバスの乗り方を聞かれ、教えてあげた。
すっかり、野球小僧になった。

人生での最大に近い素晴らしい体験をさせてくれた、僕にとってのアメリカンドリーム。メジャーリーグをみる夢。
それを果たさせてくれたドジャース。

それが・・・・なんで、オーナーの浪費で破産?

黒田も給料支払い延滞?
夢のメジャーリーグでのこんな事があっていいの?
夢の世界だったのを現実に戻すなんて・・・・・
単なる金儲け的な考えしか持たない人が、増えている。
いわゆる投資マネー。
野球の世界にまでこんなことになると強いチームなんて作れるわけがない。
TV放映権で稼ぐとか以前の問題で、球場に来てくれる観客の事を第一に考えなくては・・・
負けてばかりだと
「行くと負けるから行かない」という人が増え、いずれ赤字になってしまう。
お金をつぎ込んで強打者や好投手連れてきて強いチーム作りの失敗ならわかるけど
夫婦の離婚やら、浪費やらで破産なんて、全く困ったものである。


困ったものと言えば、あのLAスタジアムで見た試合で劇的な逆転スリーランホームランを打った打者がいた。

『ゲーリー・トォーマソン』

ダイヤモンド一周する間。観客はスタンディングオベーションだった。
僕も、感動した。

そう、その後、巨人にやってきたトマソンである。
巨人に来た時は、あの感動をもう一度!凄い補強だ!と、思っていたのに。
まさか「超芸術トマソン」(無用のもの)として名を残すなんて・・・・・・・。






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