2011年8月27日土曜日

ヤクザが、暴力団に そして、マフィア

時代は流れてる。それは、良いこともあり、悪いこともある。
僕は、昭和33年生まれだ。物心が付いたときは、ほとんど生活のベースになるものは揃っていた。
その後、遅かったものが早くなったり、低いものが高くなったり、白黒がカラーになったり、回すダイヤルが押すものになったり、その程度の発展を見てきた。
しかし、ここ10年は、パソコンや携帯電話、電子レンジなど想像もつかない発明が商品化され、だれでも、手に入れることができ普及した。
昔は、簡単にネジを回し裏を開いてゴミを取ったり、接触不良を直したりでもとに戻ったものだったが、現在のものは、全くわからない。もちろん、専門知識を持った人はわかるのだろうけど。
そもそも、パソコンの容量やら、カメラの画素数など聞いたこともない単位で語られたり、訳が分からない時代となった。


それと共に社会も変わってきた。特に、バブル時期を挟んで大きく変貌した。人々の心も変わってきたのである。
バブル前から、国が日本人は「中流の上」という意識を植え付け、それが、バブルで、「上流の下」という意識を目標にしてきた。


当然、裏社会もそれに伴い変わってきた。


ヤクザなど、危ない繁華街にでもいかない限り、目にすることはなかったが、確かに繁華街には怖そうな人はいた。ところで、その「ヤクザ」を知ったのは「仁義なき戦い」シリーズをはじめとする東映任侠映画である。
ヤクザには派閥があり、いろいろな組みがあり、ある時は、悪に手を染め、ある時は社会悪を撲滅する。さらに地元の為に一肌脱いでいわゆる汚い仕事をしてくれる。
そんなものだろうと思っていた。


そして、仕事の中でそのヤクザに直面することになった。


とある海の家でライブイベントを行うことになり、その流れを説明をする為に意味の家を取り仕切っている人に会うことになった。
その人は、60歳を超えた感じの初老の一見人の良いおじさんだったが、目が鋭かった。
イベント打ち合わせで会うようなタイプの人ではなかったが、仕切っている方なので真面目に話をした。「この人はヤクザだから」と噂には聞いていたが、一見するとそうとは思わなかった。
しかし、さりげなく出した手の小指がなかった。映画の世界と一緒だった。
きっと、何か問題があり、いわゆる「指を詰めた」んだろう。
それを見て、本気で真面目に対応をし説明をした。
その人が言うのは、ライブをすることでの音の問題に関して気にしていた。警察がうるさいんで極力音量は下げて欲しいとのことだったが、盛り上がらないのも困る。せっかくアーティストが来てくれるんだから・・・。その妥協の範囲でやってくれれば、あとは任せてくれという。


本番を迎えた。音響チェックの結果、妥協の範囲よりも下げてスタートした。
ところが、盛り上がった頃、「うるさい!」とすごい勢いで男性が怒鳴り込んできた。
今止めないと・・・と殴りかからんばかりの勢いだった。さらに、警察に通報するとも言い出した。


そこに、おじさん登場。
「私に任せてください」と、その男性を連れて裏の方に行ってしまった。
こんなじいさんには負けないと男性の怒鳴り声が時折、漏れてきた。
大丈夫か?と、心配になったが、ほかの海の家のスタッフが「大丈夫ですよ」と軽く言ってくれた。
その人が言うには、本番前に、音が漏れ聞こえる範囲の家、一軒一軒回り菓子折り持って前もって了解を得ていたのである。さらに、警察にも話をつけていた。
それがあるので、対応は見事だった。いつのまにかあの男性はいなくなっていた。


おかげで大事にならずに、無事イベントは終了した。


その翌年は、そのおじさんから電話があり、「イベントしましょうよ。」と、企画の連絡が何度かあった。予算がなく、なかなかできずに残念だった。
しかし、お世話になったお礼も兼ねて、こっそり、友達をいっぱい連れて海の家に行った。
忘れているだろうと思っていたが、奥からおじさんがニコニコしながらでてきた。
「どうぞ!どうぞ!」と、無料でいろいろと使わせてもらった。
「逆ですよ!お役に立てないもので・・せめて、海の家に・・・」
「いいの!いいの!来てくれるだけで嬉しいからさ。最近は不況で予算が取れなくて大変だよね」
まるで、代理店の人のようだった。


当時は、街でのイベントの際は、その街を仕切っているやくざの親分に一升瓶持って挨拶に行ったものだった。イベンターにはその担当者までいたことがある。
そのおかげで、スムーズにイベントは行われた。と、思ってる。


やくざから暴力団になり世の中で問題になり始めた頃


それでも、16年前の阪神淡路大地震の際は、山口組会長宅に被災者を受け入れ炊き出しをしたり、街の為に一肌脱いでくれた。


30年以上前には、家も祖父の会社が倒産した際、銀行が送り込んでくるヤクザに対抗して、住吉会系のトップの方に守ってもらったこともあった。同じ敷地内で暮らしていた我々にはとってもいいおじさんたちだった。


通常時にヤクザの方々と触れ合うことはない。金銭トラブルや危ないお店やら危ないことしなければ全く無関係である。ただ、同じ街に何世代も住み続ければ、その街に住む組みの親分やいつの間にか同級生がその世界に入り否が応でも親しくなることもある。でも、それは普通のご近所さんである。


20年以上前、企業の悪事や日本を裏切る行為などをしたりすると街宣車などで抗議活動をする右翼が現れた。その人たちをけしかける人まで現れた。その人たちを抑えてもらうのはヤクザの親分に頼むしかないという風潮があった。警察も何もしてくれない。確かに大声で名指しで抗議する姿を遠まきでただ見ている警察。紳助だけではなく各企業なども親分にお願いしただろう。そして、お金で解決。後腐れなく終わり。


しかし、いつから変わっていったのだろうか?


暴力団壊滅と称して取り締まりを強化し、暴力団は会社組織へと変わり、そこに顧問弁護士が合法的に加わり、法の抜け道を見つけ裏の金を稼ぐ。そうなっていったのではないか。


さらに、バブルな時代になり、銀行が先導し金を貸しまくった。そこで、貸金業に入っていく暴力団会社。銀行とタッグを組んだりして、社会に広がった。銀行にとっては取り立てなどは専門家に任せることができ重宝しただろうが、取り立てに規制が入ると捨ててしまったり、別のタッグを組んだり。
そのたびに、法の抜け道を探して合法的に生き残る。社会にITなどの文化が広がるとますます抜け道は広がっていった。


しかし、簡単に金儲けができないが、組織力のある日本の暴力団にアジアのマフィアや韓国マフィア、さらには本場のマフィアまでが近づき、麻薬取引の組織として力を付けた。
アメリカも日本の暴力団は要注意としてマークされた。


「堅気には手をだすな!」と言う時代から、堅気の方がやくざより怖いとなっていき、行き場を失って、「堅気もヤクザも関係ない」という時代になってしまった。
決して肯定するものではないが、せめて「堅気には手を出すな」の時代。「愛されるヤクザ」の時代に戻すことを前提に1992年に施行された机上で決められたような暴力団対策法を改正しては、いかがでしょうか?


手榴弾とか機関銃とか、規模は物凄いことになったけど、福岡は「平成の仁義なき戦い」真っ最中だけど・・・根本的な問題は、単なる組み同士の抗争なんだろうか?その原因を解決しないとなくならないと思うけど・・・。






2011年8月17日水曜日

放射能ってそんなに怖いの?戦後から現在までなので長いです

確かに、原爆やチェルノブイリで多くの方が被爆し亡くなった。
その後も、放射能が原因で白血病や癌、死産、奇形など多くの被害を受けている方がいる。
原因が放射能によるものか?の論議は、あれから66年たった今も裁判が行われいる。
当時、20歳だとすると86歳になっている
その人たちの66年の人生は苦痛以外の何ものもないだろう。
そのことは、誰もが把握している。もう、そんなことは起こってはいけないはずだった。
が、起こってしまっている。前にも書いたが、原爆の被曝者たちの思いをちゃんと聞くことができなかった。それに関しては、何もしていなかった事を反省しているつもりだ。


一昨日、終戦記念日ということで、果たして、原爆の本当の被曝者の声は正しく伝えられていたのか?実は、僕は前から戦争についての戦後教育での伝え方は正しかったのか、戦争のことを考えてみた。正しくなかったのではないかと思っていたが、今回の原発爆発で確信をもった。


「二度と戦争をしてはいけない。平和でなくてはいけない」
その為には、とにもかくにも、戦争の悲惨さを伝えなくてはいけない。
東京大空襲で逃げまどった。疎開をして家族が離ればなれになった。
原爆を落とされて、被曝して、子供や孫の代まで被害を受けている。


そう、我々は、いつのまにか戦争の被害者となっていた。


果たしてそうなんだろうか?
あの戦争は、日本は加害者だったはず。
世界から、原油を止められたり、簡単に言うといじめられ、どうしようもないからキレてハワイの真珠湾を闇討ちにし多くのハワイの人を含め虐殺したのが始まりだ。
最近、実は戦争を回避することができたとか、政治力でなんとかなったというような話がちらほら出始めているが、相変わらず、その点はあまり触れることはない。


時代が違うと言われるかもしれないが、たった66年前のことである。
現在、こんなに世界から食料をはじめとして包囲されている北朝鮮ですら、我慢している。
当時の日本は今の北朝鮮状態だったのではないか?
でも、我慢できずに闇討をした。
今だったら例えば北朝鮮がキレて佐世保あたりを闇討ちしてきたら、我々は、とことん北朝鮮をぶっ潰すだろう。だって、北朝鮮が悪いんだから・・・・・・


そう考えると、あの戦争のきっかけは日本のせいだ!と、世界は思っているだろう。


今思えば、戦争の悲惨さを語るのは、実際戦争に行ってない人が語ることが多い。
実際に戦争に行っていない我欲世代が伝えていたのである。
この我欲世代、実は東電の株主総会である株主が言っていたことだ。音だけしか聞けず、しかも電波状態の悪い中で聞いていたので、完全には聞き取れなかったが、その人が言うのは、東電の体質について力説していた。「昔の東電はこんな酷い会社じゃなかった。いつから、こんな金欲主義の会社になってしまったのか。自分が思うに、それは、戦中世代が引退し、我欲世代が実権を握ってからおかしくなった。戦中世代は我慢を知っていた。そして国民の為に電気を作るんだという意欲があった。本当の戦争での悲惨さを知っているからだ。それに引き換え、戦場に行く前に終戦になり、実際、戦争に行かないで済んだ世代。戦後直後の混乱で、生きるために自分の欲をむき出しにして、自分さえ良ければ、何をやっても金を稼ぐ。他はどうでもよいというポリシーを持った我欲世代。その世代が東電をダメにした・・・・」と。

正しい。

確かに戦中世代がいなくなり、日本はおかしくなった。

そういえば、ほかの人はどうかしらないが、僕(53歳)も、子供の頃戦争の話は聞いた。特に親から悲惨なことを山ほど聞いた。そして、最後の締めは得意顔で「もう、二度と戦争はいけない。あんな経験をお前たちにさせてはいけない。」で結ばれる。
しかし、戦争行ってないじゃん。空襲で逃げただけじゃん。たまたま、狙われなくて生きているだけじゃん。戦争やめるために何かしたのか?むしろ、反体制の人をみつけたらチクっていたのでは?きっと、生きるためには仕方がないと言うんだろう。

ある日、祖父母の家で写真を見つけた。
それは、とてつもない写真だった。
戦場で、敵の兵士の生首を持って写真に写っている祖父と思われる人。
祖父は優しいが頑固ジジイだった。子供としては怖かったが、聞いてみたかった。
写真の話。
無言だった。何も語らなかった。そういえば、祖父から戦争の話を聞いたことはなかった。
語りたいとも思ってなかったのではないか。
今生きていたら、本当の戦争・戦場のことを聞いてみたかった。
南京大虐殺はなかったことにしようとしてた日本政府。
南京だかどこだかはわからないが、敵の兵士を殺して首を切って持って写真に写るってどんなことだったんだろうか?どういうつもりだったんだろうか?今となっては、もうわからない。

それが、戦争なのである。
そのきっかけはトラトラトラだった。
日本は加害者なのだ、犯罪者なのだ。だから、東京裁判で死刑を宣告されたのだ。
戦争に負けたから、裁判を受けたのではない。加害者だったからである。
むしろ、被害者は日本以外だったのだ。

その事実に目をつぶり、被害者意識を戦後教育で植え付けていった。
好都合だったのは、世界で唯一,核爆弾を落とされた国だったことである。
しかも、その威力は想像を絶するものがあった。
火傷や傷害で亡くなる人だけでなく、放射能という死の灰を降らせ、
それにより亡くなった方が大勢いた。さらに放射能は次の世代にも影響を与えた。
親と同じ病気で亡くなったり、白血病になったり、癌になったり、奇形児が生まれたり
その想像もつかないダメージを与えられた。

それは、落とした側にも、想定以上の威力で、軍人ではない女・子供も数多く犠牲になったことを悔いる人まで現れた。

これは、被害者意識を植えつけるのにこんなにいいものはない。
アメリカにひどい目にあわされた。
原子力爆弾は放射能という目に見えず、その場にいる人だけではなく、次の世代も死んでしまう恐ろしい物質をまき散らす。放射能は死の灰を広くまき散らす。風で運ばれて灰を降らせ、遠くの人も殺してしまう恐ろしいもの・・・それが、放射能だ!
そんな爆弾を落とされた被害者だ。

その爆弾を落とされた原爆ドームを残し、放射能の恐ろしさは、写真で残し、語り伝えて原爆の日を制定して悲惨さを伝える。その日が近づくと週刊誌のグラビアで悲惨な写真を載せて恐怖をさらに煽っていった。
もちろん、二度と人を殺すための兵器として放射能を使うことは断じて許されるものではないが。

しかし、この国は、戦争の真実を隠すため、戦後教育で被害者意識を植え付けるために、原爆を放射能を利用したのだ。

放射能は恐ろしい。直接触れた人だけでなく、後から、癌になり白血病になり、子供は産めなくなり、産んでも奇形児になったり、死産になることある。と、伝えられていった。
そのせいでどれだけ広島や長崎の人が差別を受け苦しい思いをしてきたか。
被害者意識を高めるには、放射能の恐ろしさを植え付けるのが一番だった。
その為には、放射能を浴びた人が健康でいては困るのだ。苦しんでもらわないといけなかったと考えてしまう。
なぜなら、66年前、被害者意識が前提でなければ、もっと、放射能治療を真剣にやっていたはずだ。戦後まもなく迎えた経済成長時代に多くの予算を放射線治療に当てて研究をしていれば、日本の頭脳をもっていれば、かなり違っていたはずだ。
こういっては、不謹慎であるが、目の前に世界初の被曝者たちがいたので、細かい追跡調査をしてありとあらゆる方法と頭脳を集結すれば放射能なんて平気!な時代になっていたのではないか。

今、関東を含む東日本ほとんどに死の灰が降った。

この放射能に対して、特に子供を持つ親はヒステリックなくらい問題にしている。
さらに、若い世代も未来を失ったように暗い顔をしている。
もう、結婚もできない。子供も産めない。明るい未来などない・・・・。
公でも大騒ぎをしているお母さんたちがいっぱいいるのに
プライベートでは、かなりなものだろう
「この子が大人になって癌や白血病になってしまい『お母さん、なんで避難させてくれなかったの?』と言われたら・・・・・」と泣いて語るどうしても避難できなかった福島のお母さん。
その気持ちを考えたら・・・僕ら関東の人間も他人事ではない。
近い将来、身内の子供たちに何かが起こったら・・・・。

ちょっと、待てよ。確かに今現在、医学は進んでいる。
ただ、もちろん放射能をいきなり消すことはできない。
しかし、TVにでてきた女医さんが言っていた。
「原因を取り除くことはできませんが、放射能の影響によって『癌』だとわかれば、『癌』を取り除けば大丈夫です。病気を発症すればそれを治療することができます。」
たしかにそうだ。染色体を壊すが、染色体は自然治癒する。ただ、その中でごくごく稀に治癒を失敗することもある。その際は、影響があるかもしれない。
それより、煙草や酒、それ以上に現在はストレスによる『癌』などの発症の方がはるかに高い。
そのようにいう医学者が、世界にいる。
今回の人災のせいで急ピッチに研究は進んでいる。内部被爆のセシウムを放出させる薬もある。
よりによって、そのドイツの薬は住友化学の関連会社が、扱っている。儲かってしょうがないだろう。ちなみに住友化学、そのトップは経団連の会長だ。原発を強硬に推進するわけだ。

終戦66年、開戦70周年。今回の原発事故から始まった放射能汚染。
戦争被害者意識を植え付けるために、放射能の恐怖を必要以上に言い続けてきたこの国
すべての国民を馬鹿にしてコントロールしようとしてきたこの国。
しかし、本当に無能だったのは、この国を治めてきた我欲世代の政治家やトップたち。そいつらが考えた偽りの国策のつけが回ってきたということだ。

今年、日本は生まれ変わらなくてはいけない時、いや、変えなくてはいけないのかもしれない。
しかし、現在も、低線量被曝の体に対する影響に関しては、本当のところ誰も分からない。それは、偽りの恐怖ということではなく、今回の事故による被爆の影響であるのかどうかも含めてわからないという事実があるということだ。










2011年8月12日金曜日

竹富方言辞典は、でかい!!!

今年のはじめに案内が来ていて早速申し込んだのだか、
入院やら震災やらバタバタしていてそのことをすっかり忘れていた。
ふと、思い出し探してみたが見つからなかった。
まだ、届いてないんだろうか・・・・


そんな時にまだ開けていない大きなダンボールを発見!
開けてみたら、入っていたのはなんと「竹富方言辞典」
辞典というのでいわゆる普通の辞書をイメージしていた。
しかし、それにしてもでかい!重い!置く場所はどうしようか?

ま、とりあえず、中を開いてみた。
辞典なのに読んでしまう。
一つ一つの言葉に竹富島のおバアの顔が映し出される。
部屋の空気すら竹富島の空気に変わってしまうような気させする。


アンマ ヤーナ オールンダ?
お母さんは家におられるか?


アイは東でアイノタは、東の部落でアイカジは東風
竹富のように山のない島はピシャジマ。平たい島


驚くのはなんと「ン」から始まる言葉がいっぱいあることだ
ンブシは虫で、おいしいも「ンマ・サン」
ンマサッター メーヒン ファイア
(美味しかったら、もっとお食べなさい)
ファイは食べるということのようです。

そういうわけで、竹富島のしりとりはすぐに勝負はつかない。


いやぁ~面白い。


本からおバアやおジィーが飛び出てきそうだ。
若干お高い気もするが、中々簡単に行けない八重山竹富島
そんな時には、ふと辞典を開いてみて気分だけでも味わえるのはお得かも


さて、もう一度ページ開いて、会いに行きますか。
そうそう、お盆だからみなさんお揃いかな?
きっと、元気に盛り上がっていることでしょう!

2011年8月9日火曜日

横浜市の放射能対応、忘れてはいけない!!何かあったら、責任追及!

横浜といえば、ちょっと自慢できるそんな場所だ。
港、横浜の街、中華街・・・と、見どころ満載だ!
しかし、古き良き港は変わり果てて、どこにでもある街になりつつある。
本来の横浜を忘れて開発して行われた横浜博覧会の大失敗!!
市民の税金をどぶに捨ててしまった。

それでも、横浜が好きでこの街に移り住んでくる人が多くいる。
ちょっと前は、都内の高級住宅地に生まれ、相続税が払えず、移り住んできた人が多く、おっとりとした人が多い。それもあり、住みよい街のままだ。
そこに多くの若い人も集まり多くの子供たちも暮している。

しかし、「横浜博覧会の失敗」など時折「?」と思う事が増えてきた。

でも、みんな横浜が好きだし、誇りに思っている。
それだから、横浜はカッコ良くなければいけないのである。

ところが、横浜市はだめだった。何もわかっていなかった。
横浜市にも死の灰は飛んできた。
横浜市の野菜は大丈夫か?ふるさと村の野菜は大丈夫なのか?
3月は検査などしていなかった。
その後、基準値を上回る野菜がでてきた。
そんな一大事についてあまり大々的に触れる事はなかった。

横浜市は何をやったか?「福島の人を救おう!」と
高級ホテルで福島の野菜を使ったイベントを行い。
給食で福島産の野菜を使って応援しているとそれらを大々的に発表した。

しかし、国の基準を超える汚染野菜の出荷停止などが発表になると慌てて中止した。
横浜を宣伝しようとするにも素人すぎた。あまりにも薄っぺらい考えだった。
このせいで、どれだけの福島の人を傷つけたのか?
良い顔をして、お付き合いをしていたのが、一転、冷たくあしらう。
これは、イジメで相手を傷つける一番ひどいやり方だ。

それだけではない。
どれだけ横浜市の子供の親の信頼をなくしたか?
少量とはいえ、子供たちに内部被爆をさせたのである。
近頃は、子供も知っている。国の基準。
わけのわからない「生涯100ミリシーベルトを超えない」という基準

放射能は蓄積である

教授たちがTVや新聞で言っている。
生活していれば、被曝をする。レントゲンで被曝、飛行機で被爆、しかも、まだ、収束していないから被曝する可能性もある。これからの子供たちの人生、多くの被曝の機会がある。
そして、蓄積される。

だからこそ!今、無用な被曝をさせる訳にはいかないはずだ。
横浜市がちゃんと考えていれば、内部被曝させないで済んだのである。

野菜の失敗を反省もせず、市民の声を聞かず、テレビでやっている放射能問題とかみてないのか?同じ失敗を犯した。

汚染牛肉。

ちょっと、考えれば子供でもわかっている。汚染されている可能性が大なことを。
それを、素知らぬ顔で給食に使っていた。
まったく、反省をしていなかったどころか、単なるバカとしか言いようがない。
野菜問題の時になにをやっていたのだろうか?
子供を心配するお母さんが、お弁当を持たせようとすると
「子供の健康の為のメニュー作りをしているので、給食と同じ材料(産地はお母さんまかせ)を使い、同じメニューにしなくてはいけない」ときいた。
そんな事を言っている人たちが、汚染牛を使っていた。
4月・5月・6月・・・汚染牛。セシウム牛を堂々と給食に出していた。
子供たちは確実にセシウムの内部被爆した。

量が少ないから、大丈夫。
たしかに、大丈夫だろうということは誰もが知っている。
親だって知っている。
だから、良いという事で済ましていいのだろうか?

今日から、横浜市はすべての牛肉の検査をすると大々的に発表した。

本当にこの市はわかってない。今さら、検査してどうするの?
その検査に税金を使うのか?もしかしたら、県から補助金が出るからなのか?

大事なことは、横浜は大好きだが、横浜市は信用できないという市民をどうするかだ。
市の信用は、無くなってしまったのである。
信頼を取り戻すのは至難の業である。
しかも、1度ならず2度までも、子供をセシウムやヨウ素により被曝させたのである。
いや、被曝させずにすんだのに、死の灰を無理やり食べさせたのである。
それも、市民は気づいていたのに、無視して行った行政や市のメンツの為に被曝させたのである。

それを、少しでも回復させるためにはどうするのか?

今からでも、遅くはない。
無能だった放射能行政に対して謝罪をし、即刻、横浜市のすべての小学生の被曝健康診断を行うべきだ。すべての牛ではなく、すべての小学生である。特に、給食を食べた子供たち。

もしも、国の検査で横浜の米が高濃度汚染していたら、大変な事になる。
横浜も危ない!と。

その前に、子供たちの検査を。
もちろん、親だって「健康に影響がない程度だ」ということくらいわかっている。
万が一、ちょっと高い子供がいても、将来、放射能関連の仕事につかなければ良いよ。
数字が分かれば、笑って済ますことが出来るだろう。

まだ、夏休み、2学期から始めても良いのでは?
「横浜市は、ちゃんと、考えていてくれたんだ!エライ!ちゃんと反省して結果をだした」と
少しは、信頼を取り戻す事が出来るはず。

2度の失敗で、まだ、その市民の不信感に気づかないでいたら、次に何か起こったら、
まだ来るといわれている余震。さらに、近い将来に来る三浦半島・東海地震・・・。
その時が、本当の大規模災害だ。

避難所に避難した人や被災した市民に対して、ちょっとでも対応を失敗をしたら、
2~3人殺されるかもくらいの覚悟はしておいた方が良い。

大人しい横浜市民も、堪忍袋の緒が切れる!何が起きるかわからない。
それを防ぐために、今が大事なのだ。

何も、子供たちに起こらない事を期待しているが、これから先、被曝訴訟が各地で起こるだろう。その時、3.11以降の横浜市の対応を忘れてはいけない。







2011年8月6日土曜日

田舎もん番組はもうない!東海テレビ!

福島ってどの地域から、遠いところとなるんだろうか?
僕は神奈川の東の方に住んでいる。
福島に行くのも東京駅に出て東北新幹線であっという間だ。
車で行くことも簡単にできる。割と近いのだ。
福島の原発事故は身近な場所という感覚がある。

さらに、死の灰は、関東にも来た。

自分たちの街のモニタリングデータを気にする生活が始まった。
食品は大丈夫なのか?水はどうなんだ?

福島に至っては、我々が考えている規模も重さも違うだろう。
東北の人も、今回の稲わら問題で死の灰を身近に感じただろう。

関東も東北も今や死の灰が降りつもる汚染地域なのである。
我々はその上で暮しているのである。
しかも、まだ、死の灰は放出を続けているのである。

「これから先、何年も放射能と共に生きていかなければならない」と、いとも簡単に口にする
政治家の神経もわからないが、実際そうなのである。

東海テレビは名古屋にある。
名古屋から福島は、遥に遠い所なんだろう。
東京まで新幹線ででてその後新幹線乗りついで行くところ。
はたまた、飛行機で行くところ。
今回の「不謹慎なテロップ」、これを作った制作担当者は、
まさかこんな大事になるとは思わなかっただろう。

リハーサル用の仮テロップ。本番用と間違えないように、敢えて絶対に間違えない内容にしたつもりだろう。使う前にADがチラっとみても「セシウムさん」を見間違う訳がない!と思った事だろう。

そもそも、その発想で、怖いものを感じてしまった。
愛知は、放射能は関係ない。どんなものなのかわからない。
静岡を含む関東・東北の汚染と言う事の実感がないのである。
あの「ホアンインアホ」の名回文を生んだ小学生達ですら、汚染に関してはシビアにみていて、冗談も言わない。言えないのである。「放射能」という言葉で顔が曇る子供すらいる。
生きる希望を取り上げてしまったのである。

そんなことを愛知から西の人間はわからないんだろう。
わからなくて結構である。本当はわかる必要は無かったはずだからだ。
しかし、今、起こってしまった。

関東・東北の人達は、普段と変わらないが、実は、思いっきり怒っているのだ。
終わりなき汚染。原発を黙認していた自分。国やマスコミに騙されていた自分。
命の問題を金で解決させようとしていたり、我々はイライラしているのだ。

そんなことは、きっと、わからないんだろう。
遠いところの話なんだろう。

それで、安易にセシウムくん。我々の本心がわからずやってしまったならまだ良いが、
ギャグのつもりでやったとしたら、許せない。

ローカル放送。
全国放送と違い地域だけの放送。
「全国は、放射能問題とか、食品問題とかやってるけど、東海は関係ない!独自の路線で行け!」
という空気が、あるのではないか?
そもそも、岩手の米のプレゼント自体おかしい。
首都圏で古米不足が予想されるなか、米のプレゼント。愛知なら良いが無神経だ。
どうせなら、多分売れない可能性がある新米プレゼントして岩手を救ってくれれば。
愛知の人は、外部被ばくしてないから、内部被爆しても大丈夫だから、汚染米食べても大丈夫。汚染牛も大丈夫。

所詮、ローカル放送は田舎番組。全国の流れなど全く考えてないんだろう。
「オラが村の番組」
しかし、バカじゃなければわかるはず、あの松本大臣が辞任したきっかけを思いだして欲しい。
それは、東北放送のローカルニュースで、松本大臣の発言を流したのがきっかけだった。
それがユーチューブに流れtwitterやネットに広がって一夜にして大変な事になったことを学んでいなかったという事だ。いくら田舎番組でも、もう、これまでのようにいい加減な事は出来ない事を社長以下みんなで考えなくてはいけない。

この問題を番組プロデューサーやあのテロップ作ってしまった人の責任で終わらせてはいけない。

2011年8月1日月曜日

東電の電気 使っていた人の償い

基本的に誰も放射能の事はわからない。医学博士も、原子力の教授も、いわゆる専門家も。
放射能による事故など正確な数字を正直に発表なんてする国はないからだ。

データがなければわからない

わかっていることは
「放射能って、体によくないみたいだ。高濃度のものを浴びると死ぬ」
しかし、これまで、高濃度を浴びて大量に即死したのは原爆くらい

チェルノブイリも何人か即死のようだけど・・・放射能かどうか
ほとんどは「ただちに」ではなく、その後、癌などで死んだ。
その数も正確なところはわからない。
いかんせん。ソ連だったわけで・・・。

と考えると、専門家も大学教授もサラリーマンも主婦もほとんど変わらないのではないか。

嫌なら、放射能から離れる。怪しい食品は口にしない。
動けないならしょうがない。おいしそうなものなら食べればいい。

そのせいで、売れなければ仕入れないし売れれば仕入れる。

それは、それぞれが考えるしかない。

10年後~30年後、「癌」などが増え、若くして死ぬこともあるだろう。
放射能が原因であると特定することなどほとんどない。
これまでも、そうして来た。
この間、やっと原爆病の認定されたり、そんなもんだ。
奇形児が産まれても、これまで日本はそのことは触れずにいることが多かった。
しかし、今は、産む前にわかるので処理する事もあるだろう。


でも、誰にもわからない。それが、放射能のせいかどうか。

ただ、いわれのない(原発利権を受けてない人)被害を受けている人がいる。

もう、こんなことは、嫌だ。こんなリスクと背中合わせにいたくない。
リスクを失くすには原発は、失くしていかないとせめて、国は方針だけでもそうしてほしい。


そして、原発を容認し続けて東京電力の電気を使っていた人、すべてが加害者だ。

うわべだけの綺麗事で、福島の農産物を買って、助けよう!といっておいて実は買ってない。
汚染牛がでると、いきなり不買。うわべだけの綺麗事、偽善だったことがむしろ、生産者を深く傷つけた。


原発を失くす。
それこそが、多少の不便を強いられても、被害を受けている人に対しての償いだと思うしかない。原発がないと電力が減る。そのせいで企業活動ができなくなる。生産に影響が出る。
結局、その会社の売り上げに響く。

でも、核をほっといて電力を甘んじて使っていた。
そして、多くの被害者を出してしまった。一瞬にして、家を失い、仕事を失い、財産も失わせてしまったのである。下手をすると、命を失う人も出るかもしれない。
それというのも、こんなに危険なものと知らなかったとはいえ、核を黙認していた。そういう政権を選んだ。東電の電気使っている一人一人に責任があるのだ。

家を失わせ、故郷を失わせ、家族をバラバラにさせ、幸せを奪い、仕事を奪ったのである。

そんな我々、加害者が、電力が減るのは嫌だ!電気代が上がるのは嫌だ(ただ、これは、事故の東電の責任をはっきりさせてからだが・・・)!とか言えるのだろうか?
電気代上がるのが嫌なら、電気使うの減らせばいい。

再生エネルギー買い取りなどはそのあとの話だ。電力のある東電以外の地区に企業を移転。ましてや海外へ逃亡するなど責任を果たしてからにして欲しい。移転税をとっちゃえ!
それを賠償金の一部にしましょう。

原発やめて経済が冷え切ってもしょうがない。

もう、二度と第2の福島、実際は、関東・東北・新潟・静岡の日本の半分に起こっている悲劇を繰り返してはいけないのだ。
東電管内は企業などが、多くある関東圏内。まずは、その企業や住民が罪を償っていくしかないのだ。
この原発事故の償いは、簡単なことではない。