2012年3月15日木曜日

不思議な言葉だ。 安全神話


神話とは、
「神話(しんわ、英:mythmythology)は、人類が認識する自然物や自然現象、または民族や文化・文明などさまざまな事象を、世界が始まった時代における神など超自然的・形而上的な存在や文化英雄などとむすびつけた一回限りの出来事として説明する物語であり、諸事象の起源や存在理由を語る説話でもある。このような性質から、神話が述べる出来事などは、不可侵であり規範として従わなければならないものとして意義づけられている。」ウィキペディアWikipedia.より、

日本人は不思議な国民だ。バブル景気もそうだった。
濡れ手に泡?破裂するバブル?わかっているのにバブルに乗って大騒ぎ、バブルが破裂して一気に不況に落ち込んだり・・・。わかっていたから、対処できたはずなのに・・・。

そして、今、安全神話の崩壊。「安全」が崩壊した訳じゃない。
りっぱな大人たちや政治家や学者までもがまじめな顔をしていう
「安全神話の崩壊ですね」と。
神話だったのに、それを国民はすべて信用していた。ウサギがサメを並べて渡ったり・・・ヤマタノオロチは存在し、事実だというのと同じことだ。
それが、原発だ。安全は神話なのだ。それを今も「安全」というのは、イナバの白ウサギの話は実話だというのと同じだ。

さらに、防波堤も「神話」だった。

津波被害にあった地元の人たちが言っていた。「防波堤を信じていた。あれを超えるとは
夢にも思わず油断した」と。その堤防があったが為に、家に帰り津波に襲われて亡くなっ
た人がいっぱいいる。幼稚園バスもそうだ。幼稚園が遺族に訴えられたが、幼稚園は、堤防の「安全神話」を作った行政と津波を低く発表した気象庁を訴えるべきだ。
復興神話を言い続ける行政と大学教授たち。堤防を作り日本一のエコシティーにして・・・新エネルギーのモデルにする。電気で走るバスが高架を走り・・・。
地元の人たちは、そんなことをいわれても口を開くだけ、地元の人は、津波の専門家なのだ。机上で考えるだけの頭でっかちとは違う。身をもって体験したのだ。
「生活しているところから海を見たい。堤防神話は、嘘だ。どんなに高い堤防を作っても超えてくる。だから、堤防はいらない。堤防よりも高いところに生活し、避難所を作ればいい。ふるさとの美観を優先したい。」


堤防なんていらない。安全を守れないから・・・・
原発なんていらない。安全じゃないから・・・・

もう、安全神話なんていらない。

高層ビルは、震度8にも耐えられる。倒れる事はない。安全対策はとってある。
神話じゃなければ良いが・・・・。
ポキッとおれて崩れて・・・。
「一度の地震には耐えられますが、こう毎週のように地震があると強度が下がり、そこに震度7が来たので崩れました。こんなに地震が続くのは想定外でした。」
死者の数が、想定の人数の10倍になって
「高層ビルの被害は、想定してませんでした・・・・・・申し訳御座いませんでした」

謝って済むなら警察いらねぇ~~よ!!
あ、原発で、もう、謝って済まそうとしてたっけ
警察いらないじゃん。


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