2011年10月16日日曜日

歴史は繰り返すけど学習は必要だと・・・

忙しかったせいもあるけど、久々にななめ読みしたくなった。
あれから、7箇月たち報道も少なくなり、菅も辞め新内閣ができた。
日本人は、どうも、区切りが好きな国民である。
お正月。GW、夏休みなど、仕事の休みの時期を境に
「気持ちを切り替えて!さあ、行こう!!」と、これまでのことはなかったかのごとく
再出発をしたがる。
しかし、放射能だだ漏れには関係はない。変わったのは総理大臣だ。
菅政権時代から野田政権へ。菅の時代は終わり、野田へ。
気持ちを切り替えて再出発!!!

そんな空気が漂っている

国民も嫌なことは忘れたい。
震災や核発電所事故は菅の時代の話。
野田の時代は、TPPに、増税の話が中心

しかし、放射能はダダ漏れし、根本的に解決できない除染。
除染をすれば、終わるような印象を与えようと必死の細野。

そんな簡単には終わらない。
高濃度汚染の廃棄物。汚染土。処理するところすら決められない。
しまいには世田谷区議は「自分のところに捨てろ!」と、暴言を吐いたりする

結局、今も少なくなったとはいえ死の灰は撒いているし、貯めている。

国は、国民の『嫌なことは忘れようとする』気質を利用しているのだ。
いわゆる
~時が解決してくれる~
それに任せているのである。
いい方向に持っていくには、あまりにもラッキーな弦巻のラジウム。
おかげで、新横浜や大倉山のホットスポット。千葉や東京の小学校、軽井沢の小学校のホットスポット問題は、軽く流されてしまった。

福島の放射能ではなく「一安心」
そもそも、ラジウムは温泉で浴びて健康になった人もいる。
ラジウム鉱石を買うことだってできる。
おかげで長生きできた!!
一方で、夜光塗料で使っていたラジウム226は、夜光塗料会社の社員が、続々白血病で亡くなった。それで、使用禁止になった。

人間は皆同じではない。
人それぞれで違うのだ。
生まれたところの空気も違い食生活も違う。環境も違う。さらに、親から受け継いだ遺伝も違う。
体質が違うのである。

それぞれちがう人にも公平に死の灰は降り注いだ。
死の灰に強い人、はたまた、弱い人いろいろである。

煙草だって、体質的に受け入れない人。癌になってしまう人もいれば、100歳近くまで生きる人。
体質なのである。

ただ、タバコは体質が合わなければ、吸わなければ良い
しかし、死の灰はそうはいかなかった。

すでに、東電福島原発で働いた人が3人亡くなった。
急性白血病の人もいた。

「放射能が原因ではない」と東電は発表し、国もそれを認める
そりゃそうだ。体質なんてわからない。
しかし、事故がなければ、死ななかったかもしれない。
その責任はあるのだ。

ただ、放射能ではないと

もっと、きちんと調べてみなくてはいけない。
しかも、それを公表してくれなくてはいけない。

この「原因ではない」が、前例となってしまうのだ。


~そして、10年が過ぎ~

『疑わしきは、罰せずという法の下で、因果関係があるという十分な証拠がない』

【原告敗訴】

中学生だろうか?その写真を抱えて涙する両親。
「そういえば、あったね。やっぱり、放射能のせいじゃないの?」と
元気に育った子供を持つ親は他人事のように話す。
『自分の子供じゃなくてよかった』
そして、敗訴を伝えるニュースを見て、何事もなかったかのようにチャンネル変えてバラエティー番組をみる。

それは、僕らの姿である。これまで、原爆被爆者たちの裁判を何度見たことか。
そして、関係ないと通常の生活に戻っていた。

関東に住む我々も、被曝者となった。
親戚の子供や友達の子供、近所の子供がいる。
挨拶もして元気な子供たち
数値の高い低いではない。確率の問題といわれるが、その確率に体質は入っていない。

しかし、どうすることもできない

ただ、「自分の子供じゃなくてよかった」と、聞き流して日常に戻ってしまうようなことは
してはいけない
そして、今回を学習し、みんなの子供たちの将来を作っていくしかない。と、宿命を背負い
大人たちは生きていくしかないのである。
核を野放しにしてきた大人の責任を大人は一生償わなくてはいけない。

と、うっかり、日常に溺れるところだったが、再び、思い起こさせてくれた世田谷のラジウム問題だった。













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