昨日の台風で電車が止まり、帰宅難民になった人たちが、こんなにいっぱいいたとは驚いた。
台風は、なめると怖い。
昔、強風で特急が脱線転覆し、東西線が荒川の橋の上でひっくり返った。
それ以来、電車は風速25m以上で運転を見合わせる。
それは、常識だ。
台風は地震と違って、逐一、位置や強さが発表される。
風速40mの強い台風だった。
と、いうことは電車は間違いなく止まる
にもかかわらず、家路につきホームに向かった人たちの多さに驚いた。
電車が止まるのではなく、むしろこんな強風の中走らせたら、「乗客を殺す気か!」と
怒ってもいいくらい。
あのような状態になるのは簡単に予測がつく。
みんなバスに集中したけど、バスだって危ない。
倒木や何が落ちてくるかわからない。
風呂屋の煙突直撃だってあり得た
昨日の状況で東京都は企業に対し、緊急時に会社にとどまるようにと備蓄をしなくてはいけない条例をつくるという。
大地震の際はしょうがないが、台風をきっかけで条例化するなんて・・・・
会社命令がないと動きの判断ができないということか?
東京都もどうせ条例作るなら、風速40m以上の台風の際は、休業にする条例にするならわかるが・・・
国民は馬鹿にされたような気がする
緊急時の対策。明らかに毎年何回か来る台風くらいは、自分自身で考えて行動しましょうよ。
台風の時に外出しなくてはいけないなら、傘は持たない。
沖縄の人の鉄則です
さらに、自分のいる位置の西側を通過するのか、東側を通過するのか
それによって対応も変わる。
特に、今年は、地震に津波と自然災害の恐ろしさが身にしみた年
もう一度、自然と向き合って生きていくことを考えなくてはいけない
都会ボケになってはいけないのである。
ただ、昔の僕がそうだったように、知り合いの多くは、台風宴会!
夜には通り過ぎるから、それまで飲んじゃえ!!って
二日酔いだらけの台風一過!清々しい朝には似合わない・・・けど
2011年9月23日金曜日
2011年9月15日木曜日
お酒の代償!入院することと内部被曝
前にも触れたが、膵臓を患い昨年2ヶ月あまりの入院と食事療法により、多くのものを失ったし、迷惑もかけた。原因は酒だ。
「一生分の酒飲んだせいですよ」と医師は簡単に言う。
若い頃、いわゆる大人の第一歩として、お酒を飲む、もちろん、高校の卒業やら、文化祭の打ち上げなどで、大人ぶって酒を飲んでみる。
はっきりいっておいしくもなんともなかった。むしろ、僕はコーヒー党だった。
喫茶店でバイトをしたり、雇われマスターしたりで、当時からブラックが好きだった。ブラジルにマンデリンあたりが、好きでよく飲んでいた。
しばらくは、酒よりもコーヒーだった。
20歳過ぎて30前までは、明け方まで友人と語らうのも、デニーズだった。なにしろ、コーヒー一杯でお変わりは自由。そもそも、ちょうどその時代にいわゆるファミレスが誕生し珍しさもあって、何はともあれ「ファミレス」だった。
それが、いつからだろうか、酒にシフトが代わって言ったのは・・・・。
仕事が順調に進み、ある程度実力をつけた頃だろうか?
どの業界もあの当時はそうだったに違いないが、「酒の席で物事を決める」その為には「相手より強くなくてはいけない。相手より先につぶれて迷惑をかけることは、一番の恥」的な空気があった。
それが、嫌だ!と、思っていた。実際、酒には弱かったはずだった。
すぐに赤くなり、気持ち悪くもなった。大体誰もが嫌だと思うが、吐く行為は最高に嫌だった。
しかし、どこかに、緊張感を保っていると酔わなくなってくる。そればかりか、おいしいと思うようになる。緊張感というストレスをお酒は見事に紛らわしてくれる。
ちょっとだけ、気が大きくなり、覚醒状態になり、細かいことを気にしなくなる。
その勢いで、夜はぐっすり!!
そんなこんなで、量が増える。水分を取る=酒を飲む。
それが普通となっていく。すでに頭がおかしくなってしまっているのである。
かといって、アルコール中毒というわけではない。小心者としては、肝臓を労わったりもする。ガンマGTPの数値は気になり、休肝日も時折とる。数値が下がれば、こっちのもの、一回の量がどんどん増える。
今振り返っても、よく飲んだ!
一時流行った「48時間ダイエット」。フルーツジュースだけを、食事をせずに飲み続ける。食事を取らなければ、基本的に体重は落ちる。
確かに体重は落ちた。しかし、腹が減って夜眠れなくなるのだ。
このフルーツジュースの成分はというとほとんどグレープフルーツにオレンジだった。
そこで考えた「48時間グレープフルーツサワーダイエット」
48時間、生グレープフルーツサワーのみで暮らす。これは大成功だった。便通もよくなり、なんといっても、酔っ払って夜は眠れる。
何年か前のゴールデンウィークは72時間それで過ごした。
どうしても、我慢できずにつまみを用意。ごま塩。
当時は、グレープフルーツやゴマが体に良いとみんなが言っていた。
確かに、痩せた。
今回、禁酒になってから、大好きな島「竹富島」に行った。
島の人はお酒が大好き。
これまでも、よく皆さんとガンガン泡盛を飲んで盛り上がった。
「なんで、禁酒になっちゃったの?肝臓?かね」
「いいえ、どうも、膵臓のようです。半分なくなっちゃったようで、一生分飲んだと言われました」
「そんなに飲んだかね・・・」
「はい、皆さんの知らないところで・・・」
「え?」
「この島に来れる喜びで、朝、起きて、5時のバスに乗ると、羽田で1時間ほど待ち時間ができるので、そこで、出発前の生ビールとサンドウィッチ。次に飛行機に乗ってオリオンビール!
那覇空港の乗り換えの間に生ビール。そうすると、那覇石垣間では熟睡。石垣空港から港に行って船に乗って竹富到着。レンタサイクル丸八の前でオリオンビール!
さらに、ビール買ってビーチへ。昼には、海老ぞばかあさひで食事と生ビール。
再び、ビーチでオリオンビール。そして、夕飯でビール。で、皆さんと会って泡盛!」
「そりゃ、だめだ。島ではあまり昼間から飲まないから・・・」
「先に行ってくださいよ・・・」
「そうだね、言っておけばよかったね」
自業自得だ。
昔、映画の評論家がいた。この人の酒のペースは半端じゃないし、飲まされる。
飲まないとなかなかお付き合いしてくれなかった。しかも、酒癖は悪い。
二言目には「早稲田を首席で卒業した」と、えばる
しかし、僕はその頃酒大好き人間になっていたから、よく飲んだ。
と、いうより、ばったり銀座で会ってしまうことが多かった。時間関係なく、とりあえず、ライオンだ!と、ワインとビール。昼間から夜中近くまで。
じゃあ、帰るから、新聞社にハイヤーだしてもらうとかいっていつの間にか帰ってしまう。
とにかく、その人の量は半端じゃなかった。
そういえば、その方は、その後、亡くなってしまった。
もしやもすると、僕の入院している病院だったかも・・・・
そんなこんなで、いつの間にかアルコールは体を蝕んでいく。
今、53歳。本格的に飲み始めたのは30過ぎ。潜伏期間は20年。
ついに来た。
膵臓が壊れた。
「生涯100ミリシーベルト以内」という基準値。
放射能だけでなく、タバコだって、酒だって、脂肪分だって、そういう基準値つくればいいのに。第2の僕を出さないためにも、内部被曝ならぬ内部被蝕を作って、そこから、タバコは生涯1億本以内、酒は・・・・・・。癌や他の病気になるのは放射能だけではない。
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